出典: https://dock.geidai.ac.jp/wija/creators/%e9%96%a2%e5%bc%98%e7%be%8e/ 印刷日: 2026-10-22

関弘美

せきひろみ

主な所属
東映アニメーション、フリーランス
主な役職・肩書
プロデューサー他
デビュー作

『レディレディ!!』企画(演出:芹川有吾他、1987~88年)

代表作

『おジャ魔女どれみ』シリーズ プロデューサー(シリーズディレクター:佐藤順一、五十嵐卓也、全4作、1999~2003年)

『デジモンアドベンチャー』シリーズ  プロデューサー(シリーズディレクター:角銅博之、全8作、1999~2021年)

キーワード
#プロデューサー, #東映アニメーション, #おジャ魔女どれみ, #デジモンアドベンチャー, #レディレディ!!
聞き手
須川亜紀子、石田美紀
構成
須川亜紀子、石田美紀
編集
須川亜紀子
インタビュー日
2025年3月
インタビュー場所
オンライン
公開日

――現在のお仕事、職種、形態、主な内容を教えてください。

現在は、東映アニメーション株式会社営業企画本部IP戦略室というところでプロデューサーを務めております。アルバイトから契約社員、社員となり、テレビ企画部長を務めた後企画開発スーパーバイザーとなり、定年を迎えました。現在は、すでに業務委託という契約になっております。業務委託で、うちの会社のIPを動かすためのプロデューサー業をやっているというかたちになります。

――主に扱っていらっしゃるIPはどんなものでしょうか。

『おジャ魔女どれみ』という25年前に作ったアニメーションなんですけれども、これが去年25周年ということで盛り上がりをみせておりますので、30周年までコツコツと積み上げて、二世代化が図れればいいなと考えてやっております。他には、『デジモンアドベンチャー(デジモン)』というシリーズがございます。こちらは若いプロデューサー達が回しているのですけれども、その作品にもオブザーバーとかアドバイザーという肩書で 監修の業務ですとか、プランニングのお手伝いをしています。それ以外としましては、うちの会社でも少女モノの作品を多々担当しておりましたので、昔自分がかかわった作品に関しては原作者の先生の対応も含め、周年を迎えるたびに何かしらをやるかたちでは動いております。

――ありがとうございます。どのようなきっかけでアニメ業界に入ることになったのかを教えてください。また、子供の頃好きだったアニメや、こういった原体験がある、などございますか?

まず、きっかけとしては、私、結構子供の頃、おそらく小学校五年生の時ぐらいから映像の業界には進みたいと思ってまして、いろいろ映画を見たりだとか、映画・演劇やなんかに親しんではまいりましたけれども、直接的なきっかけは大学の時ですね。早稲田大学第一文学部に所属しております時に、映画のサークルでシナリオ研究会というサークルがございまして、そこで自主制作の映画を作ったりとかしてたんですけれども、大学のOBたちに映像業界の人が非常に多くて、 テレビ番組の企画書を書いてみないかというお話をいただきましたので、実写の企画書、東映グループの実は『スケバン刑事』というシリーズものの企画書を書きました。更にはそのご縁で東映アニメーション―その頃は東映動画という会社でしたけれども―そちらで女性のプロデューサーを探していると。可能ならば企画書だけではなくて、簡単なサンプルストーリーのシナリオ一本ぐらいは書ける人がいいということがあり、私が推薦されて、この会社に潜り込むことに成功しました。

――なるほど。子供の頃から映像にご興味が。その時に印象に残っている映画や演劇の作品は何でしたか?

まず、実写の映画で言いますと、エリア・カザン監督の『エデンの東』というジェームズ・ディーンが出る非常に古い映画がございます。モノクロなんですけれども。この映画をたまたま テレビの何かしら洋画劇場みたいなかたちで母と一緒に見ておりまして、うちの母はそのときリビングの電気を真っ暗にして映画館状態にする人だったんですけれども、そのときに私の母親がその映画を見ながら泣いていたんですよね。それは小学校5年生ぐらいの時に、ほとんど生まれて初めて見る母親の涙。記憶に残ってる母親の涙としては多分それが最初でしたので、すごく印象に残っていて。その時には何故泣いているのかという理由が分からなかったんですけれども、高校生の時に、うちの母親はジェームズ・ディーンに自分を重ね合わせて観ていたのだとわかりました。私から見た祖父母というのが、祖父は本当の祖父なんですけれども、祖母とは実は血が繋がっていなくて、二人は再婚したというバックボーンがあったんですね。『エデンの東』という映画も兄弟間の確執と、親とその息子たちとの関係性を描いていますよね。だから、そういうところに多分自分を重ね合わせて見ていたので、息子と父親が分かり合うラストシーンで泣いたのだと思いました。この映画が母親の若い頃、青春時代に非常に心に刻まれた映画なんだなということを実感いたしました。それがやはりきっかけだったと思いますし、そこから始まって、非常に古い時代のフランスの映画ですとか、それから日本の古い映画ですとかを見るようになりました。アニメーションに関して言いますと、子供の頃から見て育った第一世代にあたりますので、『狼少年ケン』の枕カバーで寝ておりましたし、『鉄腕アトム』を見ながらアトムが最後太陽に向かって飛んでいくところで大泣きしたのを覚えてます。あとは『魔法使いサリー』と『ひみつのアッコちゃん』には強い思い出がありまして、『魔法使いサリー』はすごくおしゃれで面白いなと思いながら見てたんですね。音楽も好きでした。それから『ひみつのアッコちゃん』も音楽含めて続けて見ようかなと思っていたのですが、なんだか『ひみつのアッコちゃん』に出てくるアッコちゃんって、当時の美人の基準は丸顔ではなくて“うりざね顔”って言いまして、楕円形のお顔なんですよね。ちょっとその影響を受けていたっていうことと、あと演出さんが新劇の影響を受けた方だと思うのですが、女の子が泣くときに、「よよよー」ってお母さんの膝で泣く姿がありまして、私それはあまり好きではなかったようで、いつも歌だけ聞いてましたね。非常にナンセンスなエンディングだとか、いろいろユーモアのあるエンディングがかかってましたので、オープニングとエンディングは今でもはっきり覚えてます。

――「すき すき すきすき」っていう歌ですね。(注1)

(注1. 「すきすきソング」作詞:井上ひさし、山元護久、作曲:小林亜星、うた:水森亜土。)

そうです。そうです。「すきすきアッコちゃーん」ですね、あれは非常に楽しかったなと。そこに描かれる演出の表現方法は好きじゃないんだけれども、でも、人間関係といいますか、キャラクターの造形ですとか性格の違いだとかっていうのははっきり覚えていますから、むしろこれはキャラクター作りを学んだ作品だったかなと思います。あと『魔法使いサリー』の場合には、当時の漫画の原作も、それからアニメのほうも意外と社会的な問題を取り上げるということが多かったですね。簡単な話で言っちゃうと、クラスにいるお母さんのいない子の話だとか、あるいはクラスにいるお金持ちの女の子と非常におうちが貧しい家の女の子という、そういうお話とかもずいぶん当時は積極的に作られていましたので、そういうのを見ながら育っているので、やっぱりその記憶が頭の中のどこかにありまして、私は『どれみ』を作るときにも、『デジモン』を作るときにも、やっぱり離婚してる家庭ですとか、それから、経済的な格差とまでは言わないけれども、お金持ちの家の子もいればシングルファザーに育てられてる女の子もいるんだよ、みたいなバラエティ感を持ったキャラクター作りの参考になったかなと思います。

――確かに『どれみ』の中でいろいろな家庭の事情ですとか、子供たちの人間関係とかすごく緻密に描かれているので、それはアッコちゃんとかサリーちゃんが原点だったんですね。

そうなんです。それが原点ですね。間違いございません。

――ありがとうございます。次は、お仕事に就かれてからのキャリアパスをお聞かせください。女性プロデューサーとして採用されたということなんですけれども。

先程も申し上げましたが、私この会社に入ったのが25歳でして、その時には、うちの会社は、うちの会社だけじゃなくて当時のほとんどの会社というのが四年生の大学を卒業した女性を採らない時代だったんですね。テレビ局もしかり、映画会社もしかりというかたちで。恐らく男女雇用機会均等法との兼ね合いで私よりも4、5年ほど後に大学を卒業した人たちには門戸が開かれたと思いますけれども、私のときにはそういう時代ではございませんでしたので、とにかく何らかのコネクションを使ってでも潜り込むという方法しかなくて、ですから一番最初の雇用形態はアルバイトから出発しております。

アルバイト時代というのは企画部の事務職で、企画書を書いたりですとか、先輩のプロデューサーがテレビ局に持っていくための“ダミーの企画書”ってお分かりかしら?本命のAという作品をプロデューサーが推しているとしても、一本だけ持って行くわけにいかないのでBとかCとか、ちょっと見劣りするくらいだけど、満更でもないというダミーの企画を何本か用意するんですね。その仕事をもっぱらやっておりました。ただ、そういう仕事をやってますとね、当然ながら虚しくなるじゃないですか。

――ダメって言われるものを書くんですからね。。。

でもね、そういうものを作ることによって腕が磨かれると言いますか、すごくゴルフが上手な人とか、麻雀が上手な人って、接待ゴルフとか接待麻雀ができるじゃないですか。つまり、わざと負けてあげるんですよ。ゴルフが上手な人は接待しなくちゃいけない偉い人と一緒にゴルフを回るときに、「ナイスパーです」とか言いながら自分はボギー叩いちゃうみたいなね。そのくらいのことを企画書でもやるわけです。だから、営業的にはいろんなことが学べた時代だったかなと思います。次のステップとしては契約社員になってアシスタントプロデューサーになるんですけれども、私は幸いなことに会社入ってから2年半ぐらいでアシスタントプロデューサーになれましたし、雇用形態もその段階ではワンランクアップしたというかたちですね。それでも、まだうちの会社は女性の正社員は採っていない時代でしたので。

――周りは全員男性ですか?

全員男性ですね。一人だけ女性の先輩がいましたけど、その人は、うちの会社のおじさんたちの接待なんかに付き合ったりするのがちょっと嫌だわというので、そういうのが無い同じグループ会社の東映ビデオのほうに移ったりとかなさってました。

――今、女性のプロデューサーを探されてたという東映動画側のご事情をお話くださったんですけど、それはどういう意味で女性を求めてたんですか?

それは、男の子もののアクションものだけではなくて、少女ものと言われるジャンル、あるいはファミリーものといわれるジャンルも作っている会社だったからです。その頃うちの会社は中途入社の社員さえ採らないみたいな時代だったんですけれども、広告代理店やなんかには、ぽちぽちと四年制の大学を出た女性が就くようになり、更にはスポンサーである玩具メーカーのバンダイさんにも四年制の大学を出た女性が就き、そうすると男性のプロデューサー、大抵の場合おじさんなんですけれども、打ち合わせに出ていったりしたときに、「おじさんじゃ分かんないでしょうね」みたいな嫌味を言われたらしいんですね。特にスポンサーさんにこれを言われると、ちょっと厳しいものがあるんです。男性達もね。だから、その頃小気味のいい事を言ってくださる女性たちがぼちぼちと世の中に現れてくれた。現れてきてくれた時代だったから私にも出番がやってきたのかなと思います。

――なるほど。スポンサーや広告代理店という他業種で、大事なパートナーからの変化が。

そうなんです。だから、自分の会社自体は古いんだけれども、周りの会社がいろいろ新しい人事だとかをやってくれることによって、会社というのはどこの会社もそうでしょうけれども、取引先とかパートナーシップを組むような会社が変わってくると、古い会社自体も少しずつ変わっていくんですよね。だから、一つの会社だけではできなくても、周りの会社とのパワーバランスを保つためにも女性が少しずつだけれども増えていかなくてはいけない時代だったんだと思います。

――アシスタントプロデューサーの時のお仕事はどのようなものでしたか?

例えば、自分で書いた企画書で番組になったものとしましては、おそらく35年とか40年近く、35年以上は経っていると思いますけれども、秋田書店で連載されてました漫画の『レディ‼』を原作とした『レディレディ‼』(注2)がありまして、これが自分が書いた企画書で初めての番組になり、その番組でアシスタントプロデューサーになったという作品です。その頃の私の名前は、男性のプロデューサーの、10のフォントで書かれている名前の下に6のサイズのフォントで関弘美と載るみたいな、そういう時代なんですね。

(注2. 『レディレディ‼』1987~88年放映。原作は英洋子のマンガ『レディ!!』(秋田書店『ひとみ』に1986年から連載。))

これはちょっと内々のお話になりますけれども、当時私がついていたプロデューサーは、実は他の作品をやりたかったんです。私は例のごとく、ダミーの企画書のつもりで書いたんですけれども、結構これは面白くできるなと思って「第二のキャンディ・キャンディです」みたいな キャッチコピーを付けたおかげでスポンサーがやる気になった。スポンサーによって、私の企画が選ばれたという過程がありました。だから、男性のプロデューサーにしてみると正直おもしろくないから、すごくいじめられましたね。だから、オープニングの名前をわざわざフォント小さくして自分の名前の下につけるというところに意地悪が見え隠れするなと私は思いました。そんなことするくらいだったら普通にエンディングのタイトルで他の方たちと同じように出してもらったほうがいいのになって思ってましたけれども、これいわゆる、クリエイターの世界に一番多いタイプなんですけれども、男性の嫉妬深さに呆れたという、そういった事例だと思います。大抵の女性は、嫉妬深い男性に足引っ張られてリタイアしたりだとか、道を曲げたりとかしてるんじゃないかなと思います。それってね、今の時代だったらセクシャルハラスメントというかたちで訴えたりもできますけれども、当時はそんな言葉さえ、そんな言葉が存在することさえ知らないような時代でしたからね。

――では、あえてそこは我慢して、という感じで?

私ね、あんまり我慢するのが好きなほうではないので、どちらかというと、そこで面白がるほうなんです。例えば、そういういやらしいことをする男の人って、いろいろ観察してると、もっといろんなことが見えてくるんです。なんか偉そうにしてるんだけれども、そんな人でも、横断歩道渡るときに、信号が赤から青に変わる間じっと待ってるタイミングってあるじゃないですか。そういうときの顔を横断歩道の反対側から見ると、結構間抜けヅラなんですよね。というようなところを見つけたりだとか、あと、偉そうにはしてるんだけども、どうも奥様には頭が上がらないみたいで、奥様からお小遣いをもらってサラリーマン生活をしているというところが見えてきたりとか。東映の本社も東映アニメーションも、そういう男性のために優しいシステムを持っておりまして、賞与と一時金で振込の仕方を変えていたんですよ。つまり、銀行振込に全部してしまうと奥様がそのお金を握ることになりますよね。そうすると、旦那様は奥様からお小遣いをもらうということになるじゃないですか。それを防ぐために、賞与とは別の一時金というお金を本人の口座に振り込んでくれるという、大抵のサラリーマンの男性が聞いたら泣いて喜ぶようなシステムだったと思うんですよ。直接自分の口座に振り込まれるわけで。みんな別の口座持ってましたもん。給与振込の口座とは別に。

――会社から直接お小遣いをあげるというシステムって感じですね。

そうです、面白いでしょ。だから、うちの会社では社内結婚をすると奥様がみんなそのシステムを知ってるわけだから大変らしいですよ。

――それは男性だけなんですか? 同じ仕事をしていても、女性は一時金もらえないのですか?

女性にも一時金は出ます。女性は普通に賞与と一時金というのがポンと口座に入ってくる感じなんです。男性の場合は、賞与とは別の一時金を別口座に振り込んでくれるという、今は本当になくなりましたけど、そういう優しいシステムがあったようなんですね。

――振込手数料まで会社が持ってやってたという。

そうです。そういうことです。だからね、東映の男性社員の場合には、すごい偉そうにはしてるんだけれども、要するに、みんな奥さんにお財布を握られている人たちなわけですよ。だから、こういう優しいシステムがないと男の人はお金も自由に使えないということが分かったので、「この人たちみんな奥さんに頭が上がらないんだ」っていうふうに思って、そういうのも結構観察してると楽しいんですよ。

――深いですね。

深いんです(笑)人間に対する観察力が磨かれた時代でした。

――アシスタントプロデューサーから今度はプロデューサーにおなりになるわけですが、どのあたりから正社員になられたんですか?

実は契約社員の時に、アシスタントプロデューサーとして立ち上げた『ゴーストスイーパーGS美神』の後半2クールからプロデューサーになり、まだ契約社員でした。次の『ママレード・ボーイ』を立ち上げた時にもまだ契約社員なんですけれども、これが当たりました。当たるというのはマーチャンダイジングとしての成功と、あと本当は1年で終わる番組だったはずなんですけど1年半に延長できるということになったりしましたので、そこで評価されまして、うちの会社が確か27年ぶりで採用した女性の正社員が私だったそうです。

――逆に27年前には正社員女性がいらっしゃったということでしょうか?

そう。要するに、東映動画って日本で一番古いアニメーションの会社なんですけれども、当初は手描きの動画ですとか仕上げですとか、美術のスタッフにも、女性が結構多かったんですよ。ただ、昭和47年だったかと思いますけど労使間の抗争がありまして、会社が大量に職員を解雇するという騒ぎがありまして、その頃に組合員だった高畑勲さんですとか宮崎駿さんがうちの会社をお辞めになったんですね。ですから、労使間の争い事があってから以降、しばらく正社員を入れない。これは男性も女性も入れなかったんですよ。それで、雇用形態としてはフリーランスの人を業務委託、あるいは作品契約というかたちで雇うようになっていったんですね。ですから、私も契約社員でした。それが正社員として採用するとなると、うちの会社としては確かに27年ぶりって聞きました。

――でも、女性プロデューサーとして正社員になれたのは 初めてということですよね。

そうです。

――素晴らしい! いろいろお仕事されている間に、先ほどもお話ありましたけれども、他にも差別されたりということはございますか?

ちょっと悔しかったのは、私より4つほど年下のプロデューサーで、『セーラームーン』を作った東伊里弥さんという人がいるんですけれども、4つ年下ですから私よりキャリアは当然浅いわけなんですけれども、彼のほうが私より半年先にプロデューサーになりました。その時、実は同じ上司の下で2人で働いていたので、向こうも契約社員だけどこっちも契約社員なので、私は上司とお酒飲みながら文句言いました。「どうして私のほうが後なんだ」と。そうしたら、その頃の上司は遠慮なく「君は女だからね」ってさらっと言いましたね。でもね、その上司も私を落ち込ませないためなのか優しさなのか、それとも、こいつは気が強いからちょっとこのぐらい言ったほうがもっと頑張るんじゃないかという気持ちなのかもしれませんけれども、「基本的にお前のほうが優秀だったのは誰もが認めている」と。それだけは言ってくれましたね。「だけど、君は女だから男を先にプロデューサーにする。そうでないと男っていうのはプライドが全てみたいなところがあるから、君のほうを先にプロデューサーにしたりすると、あいつが潰れるんだよ。でも君はタフだから、君は半年一年待たせてもそんなことでへこたれないじゃないか」と言われて、私も「まったくその通りですね」って思いましたね。「なるほどね」って応えました。会社のシステムって学校のシステムと考え方が似てると思いましたね。通知表で12345って五段階つけるじゃないですか。評価のパーセンテージが大体決まってますよね。だから1とか5というのはクラスの中でそれぞれ5%ぐらいの人数しか付けられない。1の子が全員いなくなったらどうなるかというと、2の人が1になるだけですよね。だからね、これは学校の先生が通知表をつけるときと同じ理由というか、理屈なんだなと。1だからといって後回しにすると、この子はもう腐っていくんだけれども、じゃ1の子を4とか5に持っていって、その子の成績が上がったとしても相対的には2だった子が1になるだけなんですよね。なるほどねって。アニメーションの業界に限らず、当時の日本の社会のシステムと言いますか、それが限りなくこういうかたちなんだなということに気が付けたのは本当にいい勉強になったと思います。

――男性にすごく優しい配慮って言えばそうですけれども・・・

優しいわけじゃなくて、仕組みなんだなと。社会の仕組みなんだ、これが。それを肯定しているわけではないんですよ。肯定しているわけではないけど、その仕組みを作るために明治以降100年以上頑張ってきた人たちがいるわけじゃない。だから、その仕組みを壊して新しい仕組みを造ろうと思ったら、こちらも百年は頑張るつもりでないと無理なんですよ。だから、私は決して5年や10年で世の中変わらない、短期間で変わるのは戦争とか革命があるときだけ、という考え方なんです。ただ、私が生きている間に3歩ぐらい前進すれば、私の世代としてはOKとしなくちゃいけないのかなと。それを繋いでいってくれる次の世代が生まれなきゃいけないし、そういう人が生まれない限りは世の中だって変わらないと思ってます。

――でも、きっとこういったロールモデルとして女性が頑張ってるという関さんの姿は、若い世代に絶対通じていると思います。実際増えてますよね、女性プロデューサーが。

すごく増えてますね。でも、もう一段上のロールモデルをみんな探してると思いますよ。だって、私は結婚してますけれども子供いませんし。でも、今普通に若い女性たちは結婚して子供産みながらも勤めているわけです。そういうところまで行った人たちの中から、部長になるだとか役員になるって人が生まれていかないとダメなんだと思うんですよね。要するに、どっちかというと私の存在は、「かたわ」であって、「かたわ」という言い方をあえて自分でしますけれども、でも本来だったら普通に結婚して子供産んでもそのまま働けて、さらには、そのまま部長や役員にならなきゃおかしいじゃないですか。

だからね、そういう方々が少しずつだけど増えてるわけだし、私も東映グループ全体を見渡して、初めて女性で部長になった女って言われてるんですけど、今年の4月からうちの会社には、また女性の部長が生まれるんです。その彼女は法務畑なんですけれども、子供2人産んでますから。

――それは前進ですね。

前進です。すごい前進だと思います。こういうふうになって初めて男女共同参画社会というのができるんじゃないかなと思ってます。

――ありがとうございます。最後にアニメ業界で働くことを目指している若い女性たちにメッセージをお願いします。

アニメーション業界、昔は4K(注3)とか言われて、とてもハードな仕事でした。でも今はいろいろな会社がホワイト化してまして、うちなんかホワイト企業の先頭で旗を振らなきゃいけないぐらいの会社になってるんですね。だから、働き方改革もすごく徹底して実行しています。それでも、作品をアップしなきゃいけないというときだけは集中的に忙しい時期がやってくるんですよ。だからね、アニメーション業界が良くなった代わりに周りの一般企業と比べて、もっとひどい一般企業というかブラック企業も増えてるということを考えると、自分が会社で置かれてる立場というのを、ドローンのように空から自分の目で他の会社を見ることです。そうすると、「なんだ、うちの会社だけじゃないじゃん」とか、「ここよりはちょっとはましなのかな」とか、自分の会社の立ち位置というかポジショニングというのを正確に把握することです。例えば、今の若い方々はどんどん転職なさる時代なんだけれども、それだってやっぱり、カメラのサイズでいうと引いて見るというか、広角で見たり横パンで見たりできればそういうことも見えてくると思います。あるいは俯瞰でカメラを上に持っていけばいろいろなことが見えるんじゃないかなと思いますので、特別に素晴らしい業界でもないけど、昔ほどひどい業界でもない、と思いますから、 好きな事を仕事にするということに伴う苦労はあっても、好きな人だけがやっぱり生き残ってますね。

(注3. 4Kとは、キツイ、汚い、危険、給料が安いの頭文字Kを示し、ブラックな仕事のジャーゴン。)