――可能な範囲で結構ですので、御社の従業員の全体の男女比率、それから職種別の男女比率も教えていただけますでしょうか。
男女比で言うと、男性4に対して女性が5ぐらいな印象です。職種別というのは、うちが結構ヘンテコな仕分けをしているので、どういうふうに言えばいいのかと迷いますが、事務職にあたる総務・経理・人事・システム、ホームページ制作等は、100%女性です。マンガ制作も100%女性。アニメーション制作が50%男性で50%女性っていう感じですね。
――アニメーションのセクションで、例えば演出さんなど、その作品ごとに変わるのですか?
うちがヘンテコだという話をしたのが、作画を窓口に入って来たスタッフのキャリアアップ職種が脚本、コンテ、演出、各設定、デザイン、作画、仕上げ、美術、CG、撮影、編集までありまして、最近は音響監督にも手を出し始めています。これが、手を挙げた人に1回はチャンスがある。基礎技術やセンスがないと「お勉強だよね」という感じにはなりますが、職域は広いほうが良いという話をしている会社なので、作画の自分担当分が終わったスタッフが仕上げに回りますとか、撮影に回りますとか、そういうことが日常茶飯事です。2時間だけ他部署のヘルプに入ってから作画作業に戻りますとか。それから、制作進行と通常言われているスケジュール管理や部署の繋ぎ役にあたる職種も置いていません。そこは各スタッフ個人に対応を求めています。各部署の長で言うと、脚本・演出・作画育成をやっているのが取締役の男性で、各デザインや作画クオリティを統括しているのが取締役の女性という形です。仕上部門の統括が女性、美術の統括が女性、CGの統括が男性、撮影の統括が男性、編集の統括が女性です。この部署の統括をするのはこの人と一応決まってはいますが、仕上げ統括の人が作画を担当したりもしますし、CG統括の人も撮影処理開発に入ったりしています。みんながぐちゃぐちゃでやっているので、どこのポジションに何%という感じではないですね。
――なるほど。「こちらに回ります」っていうのは、本人たちが「ここ行きたいです」というより、責任者の方が「じゃ、ここ行きなさい」というふうに統括してうまく回してるのですか?
「今日ある仕事はこれ」ということが全体に分かる状態になっているので、例えば、仕上げ統括の人が「今日ちょっと仕上げピンチ」と叫ぶと、「じゃ私手伝います」となることもあるし、「いつもメインにしている仕事が今日はないぞ」となると、他部署へ「今日、手空きなので何か出来ることはないですか?」と回るような、そういう感じです。ただ、会社に入社した段階は、まず動画研修から始めて貰っています。動画の研修が抜けて本番作業に入ったら仕上げ研修を同時進行で行って貰い、動画本番素材の自分担当分が終わった段階で、撮影のコンポジット組みを研修兼ねてやって貰っています。そういう感じで8時間勤務の中でいうと、6時間はメインの担当作業に従事して貰い、1~2時間は隣接する作業を本番素材で研修しているような時間に当てています。やれることを増やして、忙しい作業をみんなでヘルプに入って進めるということを推奨しています。
――マルチタスクができるというか、みんなオールラウンダーになり得るということですよね。
そうですね。スペシャリストになるスタッフが育つには時間がかかりますが、ジェネラリストに育ちやすいし、適正分野も見つけやすいと思っています。
――ヘンテコとおっしゃったのは、そうされている会社が少ないということですか?
はい。私が知っているところだけかも知れないですが、アニメーション制作は分業ありきだと思います。うち、生産量が少ないです。分業特化していないので覚える範囲が広いじゃないですか。そうすると一定技術を習得するにも時間がかかってしまうから、なかなか量産が出来る体制にならないな、というのが会社としての悩みです。
でも、20年以上前から個人フィルムが作れるようになっていて、そんな時代に、アニメーションを作りたい人が制作会社に入ってくること自体が、私には不思議で。なので、その解を現時点では「みんなで作ること自体が価値になるのが良いよね」と考えているんです。
会社を立ち上げた時に、「せめて次工程の人たちの仕事ぐらいは触ろう」ということを、スタッフ相手によく言っていました。次工程の人たちの仕事を分かっていれば、そこに受け渡す素材の不備が減るよね、という意味合いだったのですが、その調子で次々に作業範囲を広げていく中で、社内に色々な部署が増え、回るものも、回すフローも色々変わって来ました。スピードは確かになくて悩んでいるのですが、スタッフ一人ひとりが愛着を持って作っている分だけ、ちょっとした失敗に気づきやすかったり、こうしたらもっとプラスになるのでは?という提案が普通に出てきます。当たり前ですが、CG部の人は撮影部の人のことを知りませんとか、撮影部の人は作画部の人を知りません、みたいなことも絶対起きようがなくて、どの工程をメインの作業にしていても、気づいたことは部署を越えて担当スタッフへ話をしにいくような現場になっています。
今はなるべく全行程を社内に持ち込んで、「今後AIが出て来ても、全員が全行程を知っていれば管理職になっていくことができるよね」という話をしながら進めています。
――それはとても良い考えですね!次に、白石様ご自身について、現在の仕事の内容を具体的に教えてください。
基本的には経営全般です。新規事業立ち上げを手探りしているか、もしくは各部署のフォロー役みたいなことで動いています。
――先ほどマンガ部門もあるとおっしゃっていましたが、新規事業はアニメーション以外のものですか?
アニメーションに隣接したことで出来る事を増やしたいと思っています。今、みんなによくする話が「今後、アニメーションを作りますということだけで仕事に出来るかというと、難しくなっていくと思うよ」という話。個人フィルムが作れる時代に、更にAIというツールが出てきている以上、もう「作ります」だけだと需要はなくなっていくだろうと。需要が無いことに対してお金を貰えることはないので、作ったアニメが需要に応えるものになるにはどうしたら良いかということを探るしかない。そんな話をして、今はうまく回っているかと言われると微妙ですが、地域活性化等も含めた、オリジナルキャラクターを作ったりもしています。
――昨今は自治体主導のものも多いですよね。オリジナルのアニメーションを作って、その土地に行かないと見れないような仕組みを作る自治体もあったり。
そうですよね。日本各地、「ご当地同士があまり連動したことがない」というところも一緒にいろんなイベントを組める。そういうことの仕込みとなる作品が出来るといいな、と思っています。
――声の研究、声優の歴史を研究をしていると、映像、作画部分と音響の部分は別立ての会社が多くて、最後マジックのようなかたちでガチャって合わせるというのが すごいなと思っています。御社では音響監督というか音響部門についてどのようにアプローチされてるんですか?
音響でいうと、ミニフィルムみたいなものであれば、それこそ本当に個人でいくらでも今はやれちゃいますよね。ただ商業アニメーションに関して言うと、キャストさんの稼働等も含め、やっぱり音響制作会社の方に立って頂く方が安心なので、基本は音響制作会社へ委託をしています。けれど、その中の音響監督に当たる部分については、最近弊社でも立たせて頂くようになりました。アフレコのときの声優さんへの指示出しや、ダビング時の音の質感依頼、音楽の発注やMラインという音楽の出し入れ指示等です。絵の作業状況が悪い時等は、その補完も兼ねた申し送り指示書を出すことを弊社スタッフで担当し、音響制作の方が集めて下さった音響スタッフの皆さんたちと一緒にやっています。
――より深く演出としてコミットされる?
そういうことですね。
――ありがとうございます。次に、どのようにアニメ業界に入って今の仕事に就かれたかお聞かせください。子供の頃に影響を受けた作品や、きっかけなどございますか?
幼少期で言うと、本当に小さい頃は沢山のアニメーションを見ていましたが、一時期TV自体をあまり見ない時期もあって。どちらかというと、漫画をたくさん読んだり描いたりしていました。でも、高校時代には友人の趣味もあって、アニメもまた観るようになっていて。
当時「アニメージュ」という雑誌で『アニメーションの作り方』の特集があったんです。それを見て、文化祭で天文部の出し物として、星座と神話のアニメーションを作りました。シナリオを書いて、美術部の方に背景を描いてもらって、仲のいい子みんなでセルフィルムを1枚1枚仕上げて、写真部の子に現像してもらって、放送部の子に音を入れて貰ってという感じで。ナレーションも担当させて貰っていて、今観たら穴に入りたいくらい恥ずかしいものだと思いますが、楽しかった。調理部の子に星座のクッキーを作って貰って、私も星座のマスコットを作って、それも来場者にお土産として買って貰って、その売上げたお金を福祉部経由で市内の福祉施設にボランティア基金として渡したと記憶しています。
――もうプロデューサーじゃないですか!
当時は勝手知った友人達と文化祭出し物としてやっているから、そんな意識は全然ありませんでした。でもそれが楽しくて。
私の三つ上が団塊ジュニア世代なのですが、私たちの世代もまだその名残があって、大学受験は二浪三浪当たり前という世代でした。私も浪人をして進学を目指していたのですが、ただを浪人しても暮らしていくにはお金が必要で。アルバイトを何個も掛け持ちしていたんです。「だから落ちるんだ」という話もありますが、そんな中で「フロムエー」(注1)の記事で、シャフトの制作進行募集を見つけました。その記事には、アニメーションのシナリオ作業や、企画を考える等の内容も書かれていたんです。私、漫画や友達の舞台のシナリオを描いていたこともあって、「これだったら出来るかも」くらいのすごく軽い気持ちで入っていくんです。そうしたら、なんかめちゃくちゃハードな肉体労働で 。
(注1「フロムエー」は、リクルート社1982年創刊のアルバイト情報誌。2009年休刊。)
――アルバイトだったんですか!
業務委託ですね。私、当時七つぐらいアルバイトを掛け持ちしていて。飽きっぽくて、ある程度何かを覚えてくると、その仕事をやりながら次の仕事を他で探していたんです。今思えば、雇って下さっていた人は「そこからなんだよ」と思っていたはずです。でも当時の私は、『深掘りする』のも『広く浅く』も、「同じ体積容量が詰まっていればいいでしょ」みたいなことを思っていました。だって一つのことを深掘りするのは大変ですけど、広く浅くというのは、入口さえ有れば余程ひどいことをしない限り嫌がられないし、実は簡単ですから。
今はもうperplexityのようなAIのほうが余程便利で、知識があるだけでは全くウリにならないですが、昔は実体験に基づいた知識がありますということは重宝がられた。その自覚もあって、一つのことをやり初めて、ある程度仕事が任せて貰えるようになると、その仕事時間のない時間に別の仕事を入れる、という感じでバイトの掛け持ちを増やしていて。そんな時に「フロムエー」のアルバイトを見つけて、「シナリオライターみたいなことなのかなあ」と思いながら応募をした感じでした。
――一番最初にシャフトさんから頼まれた仕事は、どういうものだったんですか?
制作進行です。ただ、今とは違って、当時はまだグロス作品が何本も乱立して動いている会社でしたから、仕事の忙しい時と暇な時での落差が激しかった記憶があります。
私、漫画を描いていたので、巧くはないけれど、絵を描くことにまったく抵抗がありませんでした。だから、アニメーション制作会社に折角入ったなら、全行程を覚えて自分でもアニメを作れるようになりたいな、と思っていました。人手が増えるのは喜ばしいことなので、基本制作進行の仕事に支障がなければ、現場スタッフも勉強自体は歓迎してくれていたし。
――では、経験や才能のある方がいらっしゃったら「君やってみな」みたいな感じだったのですか? 仕事を何でも任せてしまって、「これちょっと描いて」とか、「ちょっと動画に入って」とか?
研修に時間をかけるという感じではなかったですけど、技術職ですから、技術がないやつが技術作業に触るな、という感覚が強いスタッフは多かったはずです。今と比べると作品本数もそんなに多くなかったので、トップの人は固定しやすいですし。
ただ、私は丁度、シャフトがグロス請け中心から総グロス請け・元請けに切り替わっていく時期に雇用して頂いたので、設定制作という作業を担当させて頂いた際に、手探りになることが多い代わりに、相対で比較対象となる先輩方がいないという状況になりました。更に云うと、フィルムを作るのに必要な設定をリスト化したり、それらの参考資料を探したりというのは、それこそ漫画を描いたり、前職のバイト経験だったりが活きました。沢山のアルバイトの中にあった舞台裏のアルバイトでは、舞台で必要な美術を作ったり、衣装を作ったりもしていて、そういうのって、結局無いところから必要な物を想像しながら作っていくので、それと同じことをアニメーションの設定制作業務では求められていたんです。それから、集めた資料を見やすく整理するという作業も、ルポライターのデータマンというアルバイトをやっていた時に求められていたことと合致していたので、比較的早い時期に、社内で信用値を得たと思います。信用値を得るとどんどん口出しができるようになるじゃないですか。結果「これは画面に出ないし、私が動画したもので色を作って貰って良いですよね」とか、そんな感じで自分の隣接している仕事から、色々挑戦させて頂けるようになっていきました。
制作進行業務も、当時は素材が紙なので、大量の紙素材を持ち歩くのって結構な肉体労働ですよね。これもアルバイトで調理師をやっていた時と比べて、「寸胴鍋より軽いです」と運んで回っていましたけど、当時、制作に女性がいなかったのは肉体労働だという理由が大きかったと思うので、その中で逞しく楽しんで作業をしていること自体が、「頑張っている」と評価されやすかったというのもありますね。
――そういう現場では女性一人で、他は全部男性、という?
制作の女性は私一人でしたが、逆に仕上げ部は男性が一人に女性が30人みたいな感じだったと思います。
――仕上げは女性が多いですよね。
作画は当時、たぶん15人ぐらいの中に女性は2~3人。制作は10人ぐらいの中に私が紅一点みたいな。先輩が外でタバコを吸っているのを見つけると「重いなあ」と言って声をかけ、車から会社へ荷物を運んで貰ったりとか、女だからと甘やかされたことは一杯ありつつも、「どうせ女なんて結婚したら辞めるんだから」と言われたり、「女じゃなかったらブン殴ってる」と机を叩いて恫喝されたりとか、悔しいことも結構ありました。
――今で言うハラスメントは日常茶飯事に。
そうですね。だけど別にそれはアニメ業界だけじゃなく時代がそうだったと思うし、そもそも今思えば私、相当ヤンチャでした。物理的に殴ったり暴れたりはしていないですけど、それより上司に心労をかけたことは、結構あったと思います。それに同世代の子たちとチームで和気あいあいやれるような現場ならともかく、仕事として年上の人たちと対峙したら、みんなそんなもんだという感覚のほうが強かったですから「体育会系だ、ここ」と思う位で、たいして気にもしていなかった。生意気だと思われていたのは間違いないと思いますが、図太いのであまり傷つきもせず今までやってきていて、それこそ続けていること自体が価値になって、当時の上司には今でも色々お世話になっています。
――色々な職業に触れられて、経験があって、それでちょっとたくましくなったような?
とにかくやりたいことを「やりたい」と言って、やりまくる性質です。
――楽しみながら仕事をこなしてらっしゃったのですね。
そうです。楽しくなかったら、それまでに通過したアルバイトと同じで、もう辞めていたと思います。
――アルバイトを掛け持ちされていたところから、少しずつアニメ業界に重点を移したのですか?
いや面接を受けに来た時に、他のアルバイトとの掛け持ちは難しいと伺ったので、シャフトでの採用が決まったところで、他のアルバイトは辞めています。引継ぎ等もあったので、応募をして採用を決めて頂いた立ち位置なのに、引継ぎ期間として半年近くお待ち頂いて転職しているんです。
他の職種とアニメ業界の仕事を天秤にかけた時に、この仕事を選んだ理由は、自分たちの同世代の人たちが大学を卒業するというのがありました。18歳で高校を卒業して二浪三浪当たり前。プラス4年の大学期間。だから7年ですよね。その長い期間を、結局アルバイト三昧で潰してしまった25歳の私が考えた今後のこと。それは「みんなが就職をしていった時に、アルバイト三昧だとおしゃべりする時間がないな。」ということだけでした。特に当時メインにしていた飲食業はみんなが休んでいる時間が稼ぎ時でした。
同世代の仲の良かった友達が、一緒に文化祭でアニメを作った学校の友達だったり、劇団の友達だったり、コミケで知り合った漫画を書いている友達だったので、それまでは休日に好きなアニメやゲームの話をしていたんです。だけど、みんなが忙しくなると、コミュニケーションが減って行くのは簡単に予想出来ることで「アニメの話をするんだったらアニメの現場に入ったほうが早いな」というのが、一番の理由という…。
で、アニメーション業界に先に就職をした友達に聞いたら「あんたが文化祭でやったようなことをやるのが制作の仕事だと思うから適職だって」という話で後押しされて、「そう?」と飛びついた形です。「アニメの話ができればいいな」という理由で職に就いたので、確かにアニメの話はしているけれど見る時間がないぞ、となって、びっくりでしたが。
――忙しすぎて。
はい。でも作ることがそもそも好きなので、性には合って続いているんでしょうね。
――貴重なお話ありがとうございます。シャフトさんでは結局正社員になられたのですか?
業務委託で制作進行をやっていて、一年半ぐらいで体を壊すんです。今はそんなことはないと思うので、本当に遥か昔の話ですけど、私は月曜日の朝10時に出社しますよね。そうすると、次おうちに帰るのが日曜日の朝午前です。
――1週間、会社にいるってことですか?
そうです。今言っていたみたいに仕事といっても、半分趣味の延長だから、苦ではなかった。ただ制作部に女の子は私しかいなかったし、制作部の部屋で雑魚寝はあんまりだと、社長が応接室のソファーを貸してくださいまして、普通に早朝まで仕事して、朝10時の仕事開始時間までそのまま応接室に居座っちゃうと。外回りに合わせて銭湯に回ってお風呂は入っていたし、女性の作画スタッフと一緒に御飯に出かけてお喋りしたり、週に1度は会社の作品納品が終わってスタッフみんなで打ち上げ兼ねての飲み会をしたりもしていたので、帰る時間が全くないはずないんです。実際、早朝に帰って夕方出社してくる制作さんも居たので、私自身がスタッフの居る日中に、問い合わせが止まってしまうのがイヤでそんな感じの生活を選んでいたということです。今だと法律的にNGなので、私が「大丈夫」といっても会社が帰すと思いますが、そこも『努力』とか『根性』と認める時代性があって、結果、一年半ぐらいで胃が壊れました。
ちょうどその時期が、ガイナックスからシャフトが総グロス請けをする作品で制作デスクに昇進が決まっていた時期で。各方面に挨拶をしていたのですが、「体調不良で辞めます」という話になってしまったので、ガイナックスにも「すみません、こういう形で会社を辞めることになりました。」と挨拶をしに伺ったんです。
――ガイナックスさんとシャフトさん、両方同時に。
ガイナックスからの仕事をシャフトが総グロス受けするという作品は『まほろまてぃっく』という作品を皮切りに、その後『まほろまてぃっく』の2期、『この醜くも美しい世界』、『これが私の御主人様』と4作品続いていきます。私は、その『まほろまてぃっく』という作品で、設定制作と1話と12話の制作進行をやっていました。第2期が動く時に、設定制作はそのままの流れで続けていたのですが、ちょうど仕上げ~撮影の工程がセルからデジタルへ変わった過渡期の作品ということもあって、1期の制作デスクの方が、セル作品の制作終了と共に制作業務を離れたんですね。そこで「進行話数を持たなくていいから、新人の面倒を見てデスク業務を担当してくれ」というお話を頂いて、当然ガイナックスの方たちにも挨拶をしていました。それが体調を崩して辞めることになってしまった。「体調を崩して辞めるのですが、引き継ぎは彼にお願いするので、今後ともよろしくお願いします」と、上司やデスクに立って貰う制作スタッフと一緒に、挨拶をしに行くことになった、その後です。会社へ戻ってきたところにガイナックスから電話を頂いた。曰く、「制作部を社内に立ちあげたいので、うちへ来ませんか?」と。「まだそんなに回すものがあるわけではないから、当面はシャフトさんみたいな忙しさは絶対ないです」という話でした。当然ガイナックスとシャフトは引き続きやり取りがあるので、「それはシャフトにも聞いてみないと、体を壊したと言って辞めるのに、すぐにガイナックスに行くってないですし」という話をして上司に確認を取りました。そしたら、「やった!」という思いがけない返事が返ってきて。要は、私が制作デスクを辞めたとしても、ガイナックスで雇われるなら、「ガイナックスとシャフトの共同制作作品なんだから、ガイナックスの窓口としてお前が立って、監督とキャラクターデザイン、総作画監督 の管理の仕事をやってくれ」という話だったわけです。「それなら作品に最後まで関われる!」と私も思い、シャフトとの会社窓口として私を立てて下さいというお願いをしつつ、ガイナックスに雇用を頂きました。
――両社とWIN-WINで、非常にスムーズな移動ができたわけなんですね。でも、お身体こわされていて、少し休職されてガイナックスに所属している最中もお休みされながら続けておられた?
休職という形では、一カ月は休んでいないと思います。胃潰瘍が出来て病院に通いましたが、手術をするほどのところまではいかず、薬を飲みながらガイナックスに通い始めました。でも、ガイナックスでは体を壊して前職を辞めたと伝わっていますから、仕事量は、凄く気を使って頂いていました。 『トップをねらえ2!』が動いていて、その設定制作業務から。設定制作自体は経験のある作業で、しかもシャフトにいる時は設定制作をやりながら制作進行を2~3本は一緒に回すのが普通の仕事量だったのに、OVAの作品の設定制作が一本入っているだけ。シャフトとの窓口は担当していましたが、問い合わせが来たことを確認して現場スタッフへ伝えるということをやっていた位で、随分ゆったりしていました。…が、『トップをねらえ2!』の制作デスクが1話の制作途中で退社し、そのまま繰り上げで制作デスクに昇進。当時、制作プロデューサーとして立っていた人は、元々広報回りが強い方。作品に対しての愛と、クリエーターへのリスペクトは本当に頭が下がるし、教えて頂いたことも一杯あるのですが、制作業務を知らないところで制作プロデューサーを名乗られてしまうと、現場としては動きづらいところも多かった。私が四苦八苦しながら動いていたことを見てくださっていた監督陣が、『天元突破グレンラガン』という作品で「制作プロデューサーは白石に担当させろ」と進言してくださって、TVシリーズを社内で制作出来るようにと、制作部も強化していきました。
この作品は、監督の今石(洋之)監督もテレビシリーズは初監督だったし、キャラクターデザインの錦織(敦史)君も初キャラデでした。私も制作プロデューサー初めてで、御祝儀もあって、技術レベルの高い人達が沢山集まってくれた良い作品になっています。ただ今までの話でも想像つくと思いますが、私「やれる」という計算ではなく「やりたい」の気持ちで動いてしまうから、本来一緒に作品を作ったスタッフを次の作品へ繋ぐところまでが制作の仕事だと思うのですが、一緒に駆け抜けてくれた人達は半分で、「もうこんな現場はいやだ」と出て行った人たちが半分いたということが、作品としての評価とは別に、制作として大きな反省点として残っています。
ただ、この作品の『制作プロデューサー』に立たせて貰えたことが、後の私の看板にも経験にもなっていて、会社を独立した後も仕事が途切れなかった理由の一つになっていますから、制作スタッフというのは、良い作品を作ることが未来を繋いで行くことなんだと思います。
――すごい作品ですよね、クオリティ高くて。
若手スタッフが作品の中で競い合っていたので、作品の面白さもあるのですが、なんかフィルム自体が全体元気ですよね。笑。
――ガイナックスには何年いらっしゃって独立されたんですか?
12年ぐらいかな。
――その後、会社を立ち上げられたんですよね。
そうです。
――立ち上げられた時のきっかけは何だったのですか? 昔から最終的には自分の会社を立ち上げることにご興味が?
全然そんなことは思っていませんでした。ただ30を超えて子供が欲しくなって来た頃に、『はなまる幼稚園』という作品を制作していたことを良いことに、フィルムが出来る度に主人に見せては「ほら、子供可愛いでしょ」と言っていたんです。ただ主人は(注2)会社員ではなくフリーのスタッフだったので、仕事が来なくなったら最後なんですよね。仕事があるうちは社員より稼ぎも自由度もありますが、仕事が来なくなっても、「それが実力」というシビアな世界でやっていた。「この作品にかけている」と言ってその作品制作をしている会社に入って監督業務にあたっていた時に、現場が巧く回らなくて監督降板になったというのがあって。
(注2 板垣伸監督。最新作『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』(2025)では総監督を務める。)
でも制作の私から見ると、現場で出来ること・出来ないことって、当然現場のスキルに依存する、その現場の地力を把握していないところで、フリーのスタッフが作品の監督をすること自体が厳しいことだと思うんです。どんなに監督個人の技量があったって、普通のアニメは分業で、色々な人が技量にもテンションにもバラつきがある状態で関わっていて、その総合力で出来上がっていくものだから。多分、今のうちの会社でも、フリーの監督が現場の地力を知らないまま采配しようとして乗り込んで来たら、ちゃんとしたフィルムは出来ないと思います。それが出来るのは、本当に現場の地力が高くて、且つその現場スタッフの中に監督志望が居ないか、その志望者の誰よりも監督が卓越したカリスマを持っている場合だけ。だけど、一度「監督不適合」というレッテルを貼られたら、その後の仕事はなくなると思うじゃないですか。なので、これで子供は作れなくなったと思ったのがまず第一段にありました。子供という希望が消えた時に「主人と一緒に育てていけるもの」と考えて、「会社」という選択肢を見つけた…という感じです。
当時の上司からすると、やりたいことをやらせて、融通だって随分効いて、楽しそうにやっていたよね?…というところで突然のことだったと思いますが「お前の代替を育てるまでは我慢しろ」と言うだけで納得してくれて、『ダンタリアンの書架』と『めだかボックス』の2作品までで独立となりました。
ただ、『ダンタリアンの書架』の制作中に、今石チームが別会社を起こして独立。今石チーム…というのは『天元突破グレンラガン』終了後、『パンティ&ストッキングwitガーターベルト』という作品制作へ流れた腕利きスタッフ達を総称して、今仮に言っただけですが。『パンスト』を制作している横で、今石チームでメインをはるにはまだ技術が満たないスタッフも戦力に出来る作品作りをしたいと考えた上司と私が、別ラインを育てようと動いていたところで、私が独立を考え始める。ところが先に、今石チームが独立し、しかも、独立した直後に「アニメミライ」(注3)という、現場で何年間かアニメーターを育てている会社が参加をする条件のイベントに参加をするんです。人を育てるって、独立一年目の会社に、会社が育てて何年目…という人がいる訳もなく、つまりガイナックスに居た後輩スタッフを引っこ抜いていくことになる。本人達は、ガイナックス時代の後輩だから、色々教えていたこともあるはずで、言い分は想像出来るんです。けれどガイナックスは次の作品が決まっているのに、スタッフが居なくなる。そんな時に個人の我がままで独立をする私が、人を育てることが出来るスタッフを連れて出る訳にはいかず、シャフト時代からの付き合いで、別ラインの立ち上げに協力して貰う為に席を置いてくれていたフリーのスタッフさんに、引き続きガイナックスで新人を雇っての後輩スタッフ育成をお願いし、2013年に立ち上げたミルパンセという会社は、キャリア組みが私と主人の二人だけで始まりました。
(注3 文化庁主導の若手アニメーター等育成事業。2011年から始まり、2016年から「あにめたまご」に名称変更。)
新人の制作一人と新人の動画マン二人を雇ったところからスタートしたその会社は、私が制作プロデューサーを請け負った作品の元請け会社に新人制作君と一緒に出向し、元請けの会社と外部の協力頂ける会社で座組みを組ませて頂いて、社内は出来る物量だけを持ち帰って仕事にしながら教育をしていく…というような形で始まっていて、逆に言うと、制作進行だ、作画だ、という区分けをやっている場合じゃなかったということがあります。スタッフは4、5人しかいないし、会社に電話が来ても、私を含め制作スタッフは元請けの現場にいるから、作画スタッフが電話を受けて私へ連絡をしてくる…みたいなところから始まっていて、人数が増えても、私がパンクすると作画の誰かがヘルプに入ってくれていた。今の社風も、その頃築いたものの延長上かも知れません。
――なるほど。結構お辛い経験だったと思うのですが、そういった苦境も苦境と感じられない方だと感じました。周りの状況とかいろいろ気を遣いながらやってらっしゃったんだなと。
『ダンタリアンの書架』の時には、一人、連名で後輩に制作プロデューサーとして立って貰いました。一緒にやれば覚えると思いましたが、「BABY, THE STARS SHINE BRIGHT」という洋服屋さんとタイアップがあったり、イギリス村とのタイアップ があったり、音楽をガイナックス制作で動いたり、社長が兄弟会社のCG会社を立ち上げて背景美術を担当させたり、初めてのことが沢山で、いろんなことが楽しくなっちゃった。ガイナックスって、「やりたい」と言ったことを、どの現場で落とし込ませようかという風に考えてくれる社風だったので、本当に作品作りをするには恵まれた環境でした。そこでやりたい放題やらせて貰ったら楽しくなってしまって、「これ、制作プロデューサーっていう仕事を教えている感じじゃないよ。フォーマットになってない」と上司からも呆れられ、「君は、現場を指導するなら同じ立場に立っちゃだめだ」と。次の『めだかボックス』という作品では、新人の制作進行をくっつけて、制作デスクのフォローと制作進行のフォローをしながら、設定制作としてもう1年という感じでした。だけどその時期になってくると、「会社の立ち上げ自体は並行してやりなさいよ」と上司からも言って貰えたので、「ちょっと出て来ます」と仕込みが出来て、全く手を空けずに、会社を辞めた瞬間から仕事がある状態を作れていました。本当に、運が良かったです。
――運を引き寄せているという感じがいたします。周りを幸せにしつつ、その運を自分にフィードバックさせつつみたいな、すごいいい流れを引き寄せられる方なんだなあと思いました。これからやりたいことなど将来のビジョンをお聞かせいただけますか。
目の前のことで一杯一杯なので、あまり業界全体のことまでは考えていないですが、やっぱりうちの社内でずっと言い続けているのは、「アニメを作るための会社じゃなくて、作ったアニメで社会貢献ができるようになりたいね、そういう会社に育てていきたいね」ということです。
――女性故に得したかなっていうこととか、女性故にちょっと損したかな、ということがあったらお聞かせいただきたいんですけれども。
女性故に得したと言うなら、力仕事を「私女の子だからさ、若手の男性いる?」って預けられていたのは得したことだと思います。それから私がパワフルに見える人は多いらしくて、男性だって同じように仕事と向き合っているのに、女だから得してるかな…とは思ったりもしています。
女性で損をしているというと、ホルモンバランスが崩れやすいこと。女性で辞めていくスタッフの原因としても、本当に多いです。生活リズムとか、相当気にしながら仕事をしないと、辞めたいという意志じゃなくて、辞めなきゃいけないという結果になってしまう。コレは、男性にはない悩みですよね。
それから、業務委託の原画さんが何人かいらっしゃるのですが、「在宅で社員になりたい」と言ってきた方と面談をしたら「これは社員には出来ないよ」と。どういう状態かと言ったら、お子さんがいて、保育園に預けられないから自宅で面倒をみながらやっている。その結果、スケジュールが読めないと。仕事として原画をやりたいけれど、決められたノルマをこなすことは難しいから、だいぶ先のゆとりのある仕事を準備して作業させて欲しい。そういう仕事がなくなったら、「今は渡せません」という形にするしかないという話で。「折角『やりたい』と名乗りを上げてくれるスタッフさんがいるんだから、余裕のあるスケジュールのものを作ろうよ」と業務委託でお付き合いはさせて頂いていますが、そういった状態で社員に出来ますか、と訊かれたら難しいです。社員みんなで決められたスケジュールやノルマと戦って一生懸命稼いだお金を、一緒に向き合えないスタッフに流し込んでいくことになるから。でも子供が夜泣きをしましたとか、熱を出しましたとか、そんなの母親がどうにかできる問題じゃないですし、何とかならないのかな、とは思ったりします。それこそ国で助成金とか出してくれたらいいなあ…。
――そうですよね。結局女性のほうが、子育てとか家事とかの比重が来がちなので、同じ技術を持っていても、どうしても不利益を被りやすいというのがありますよね。子育てだけじゃなくて介護の問題も・・・
旦那さんにもよるとは思いますけどね。子供を産むことは女性にしか出来ない仕事でしょうけど、自分の知り合いで作画の男性が主夫業をしていて、キャラクターデザイン・総作画監督 を担っている奥さんという御夫婦もいらっしゃるので。それでも子供は女親のほうに懐くことが多いようなので、そうすると・・・
――そうなんですよね。やっぱり母親の、負担っていうんじゃないですけど。なんとかバランスが取れればいいのになって、アニメーションに限らずなんですけれども、ありますよね。
逆に言うと、今ってそれこそ男なのか女なのか分からない人も増えてきているぐらいだから、男・女という区別は、「区別して考えて」と言われない限り考えることは少ないんです。だけどしいて言うなら、男の人って一つの事に集中できる人が多いとか、こだわりを持てる人が多いなと感じることが多い一方、こだわりすぎて凄く不器用な人も多い印象があります。逆に女の人は一つのことへの執着は薄い印象があって、基本『居心地』を大事にする印象の人が多いから、チームワークの核にはなりやすい人が多い気がします。自分の仕事をやっていても、家事をやっている時に掃除しながら洗濯をして料理もしているみたいな感じで、誰々さんがこれやってくれていて、誰々さんがこれやってくれていて、この人そろそろ終わるから次この作業をお願いしちゃおうよ、という感じの立ち回りですね。チームの役職分配みたいなところで、うちの統括スタッフに女性が多いのは、そういった取り仕切りが上手いからという理由で、技術的な基礎レベルは必要ですが、管理職ってそういう采配の細かさが重要だよね…と思っています。女の人だから全員得意ということでもないので個別の話ですが、確率論で云うと女の人の方が、そういうところは得意だよなと思いながら見ています。
――では、最後にアニメ業界を目指している次世代の若者、特に女性にメッセージがありましたらお願いいたします。
社内の子たちにはよく言う話ですが、「出来る」と信じて動いて、こぼすのは大体2割です。「出来ない」と思いながら動いたことって8割こぼします。出来ることが最大2割です。そう考えると何がやってきても「出来る」と思って、「どうやる?」と考えながら動くのが一番いいと思います。先ほども言いましたが、女性スタッフには、周りを巻き込むことが上手い人が多いです。どうせやらなきゃいけないことなら、何事も前向きに、一人で抱えずに、みんなを巻き込んで、色んなことをやっていったら良いと思います。チーム作業というのは何事も、一人で抱えるより、みんなでやったほうが楽しいと思います。
――本当にお忙しい中、本日はどうもありがとうございました。

