出典: https://dock.geidai.ac.jp/wija/creators/%e5%b1%b1%e5%b7%9d%e9%81%93%e5%ad%90/ 印刷日: 2026-10-22

山川道子

やまかわみちこ

主な所属
プロダクションI.G.
主な役職・肩書
IPマネジメント部 渉外チーム
デビュー作

テレビアニメ「パラッパラッパー」(監督:桜井弘明、2001-02)

代表作

映画『イノセンス』(監督:押井守、2004年)

キーワード
#アニメアーカイブ, #中間生成物
聞き手
石田美紀、須川亜紀子、米村みゆき、宮本裕子
構成
石田美紀
編集
須川亜紀子
インタビュー日
2025年1月
インタビュー場所
オンライン
公開日

――お仕事の主な内容を教えてください。働き方の形態も併せて教えてください。

プロダクションI.Gで社員として働いています。担当は、自社が関わった作品のアーカイブです。働き方はかなり柔軟で、コロナ禍以降は、出社しても自宅作業でも可能になりました。必要に応じて選んでいます。体調が悪い時でも自宅のパソコンでできるがあるのはありがたいです。逆に、出社してみんなでワイワイと作業をしていたからこそ続けられた内容もあるという感覚はあります。悩みを共有して雑談しながら解決策を出していくことで進められた作業があったのが、機会が無くなったことで単調でやりやすい仕事ばかりに手をつけてしまうようになりました。ただ、体調が不安定になりがちな女性にとっては自宅作業を会社が許してくれるのは、非常にありがたい状況だと思います。

――アニメ業界に入られたきっかけは何でしたか。

小学生の頃にアニメは大好きだったので、中学受験を機にアニメーション部に入りました。セル画を描きたかったので、アニメイトでセル絵の具を購入して一人だけセル画を描いていました。漠然と将来はアニメーションの仕事に携わりたいと思ってはいましたが、アニメーターか声優の仕事しかないと思い込んでいました。今敏監督のブログを読んで制作進行という仕事があることを知り、免許証と履歴書と小論文があれば入れるということだったので就職試験を受けました。

――セル画のどういうところが魅力だったのでしょうか?

当時の私にはセル画が宝石のように輝いて見えました。多分、絵の具がセル画に乗ったときの照り返しの独特さだと思うんですけども、止まっているはずの絵の具から生きているかのような感覚もしていました。それでセル画を塗りたいと思ってアニメイトに行って画材を買い、エアブラシ噴いて特殊効果を入れたりしていました。今では、仕事としてセル画を残すことに携われるのは嬉しいです。学生時代に憧れていたモノですからどうしても意識してしまいますね。

――最初の動機と現在のアーカイブのお仕事が繋がっていますよね。

たぶんそれ以外にも学生時代の感覚をそのまま引きずっているような気がします。中学生までは絵を描きたくて描いてたのですが、高校生になると周囲が私よりもとても上手な方たちばかりになってくるんです。だから上手な人たちに絵を気持ちよく描いてもらいたいという思いが生まれて来ました。それと同時に、クラスの中でいじめられているような子たちが、実はとても絵が上手で部活では輝いているということがありました。その子たちの能力がいかに素晴らしいかを多くの人に知ってもらいたかったし、流行りからズレているからその子の存在が否定されるというのはいけないと思ったのです。だから、描かれた絵の魅力を伝えることや、誰が描いたのかを知ってもらうことが高校生の時の一番のモチベーションになっていました。今でもそのモチベーションのままで仕事をしている自覚があります。

――アーカイブのお仕事が運命のように待っていたんですね。業界に入られてから現在のアーカイブのお仕事に就かれるまでを振り返っていただけますか?

制作進行として入社をしました。一年も経たずに制作には向いてないと自覚をしまして、数ヶ月だけAVIDの編集に席を置きました。会社に広報の部署が立ち上がったことで異動になり、会社の15周年企画でイベントと書籍の作成のために会社の倉庫に必要な素材を探しにいくのが自分の担当になりました。その後も広報として働く中で、取り出しのリクエストにスムーズに対応するために整理を行ったのが現在のアーカイブ作業の始まりになります。実は、2003年と2004年にスタジオジブリさんと映画「イノセンス」の宣伝活動を共にする機会に恵まれました。スタジオジブリの宣伝活動の中で求められる資料が、当時のI.Gでは全然整っていなかったのです。そこから数年間はI.Gでも出版局を作りって広報していくんだという流れが会社に生まれたことで、すぐに使えるように体系立てて整理していく大きなきっかけになったと思います。マスコミとやり取りをするような広報活動も好きだったのですが、2004年の「風人物語」の広報担当を途中で降りて、社内の倉庫で整理作業をする仕事を行うことになりました。当時は会社の受付と電話番をしながら手元で整理作業をして、夕方になると倉庫に行って整理作業を行う生活でした。この頃に、ちょうどNHKアーカイブスがTVで放送されるようになったことで、社内の方から「君が行っている仕事は“アーカイブ”だね」と言われまして、そこで初めてアニメのアーカイブをしている人という自覚を持ちました。会社で倉庫を複数持っていたんですけれども、基本的には倉庫で紙類の作業をしつつ、映像とかデータの整理関しては会社の自席で作業をしていました。

私が入社する前からコレクターの気質がある社員は何人かいらっしゃいました。制作進行がゴミ箱に捨てた資料を拾ったり、中間生成物を捨てそうな制作から守るためにロッカーの中に資料を隠すようにして保管している先駆者たちがいたんですね。その方々とコミュニケーションを取りながら、どういうものを残すといいかとか、どういうふうに保管しているのか、という情報共有をしました。積極的に情報共有したことによって信頼を得ることができ、後年は私に資料を渡してくれるようになりました。また、普段は私一人で作業をしていたので、人でが必要な作業については4月の新人に助けていただくということが長く続いていました。2014年に、『攻殻機動隊』の展示会を行うことになり、そのためにスキャニングが必要となりました。さらに原画集を出すので、一話ごとだけでなくシリーズ丸々をスキャニングしたいというような話が上がりました。とても一人で行える物量ではなかったので、社内の余剰人員を手配したり業務委託を雇うなどしてスキャンチームを作りました。これが今のアーカイブにおける業務委託雇用の基礎になっています。スキャンチーム自体は一年ほどで解散しました。

『攻殻機動隊』の展示以降は、今後はデジタル作画に置き換わっていくので作画の紙自体の生産量減っていくことを想定し、紙が貴重になるので捨てないほうがいいだろうと上層部が判断し、それまで定期的に行っていた原画の破棄処分は一旦停止することになりました。そこで、整理するほうに人手を割こうということで社内の余剰人員をアーカイブで借りました。それでも人でが足りないので、業務委託を増やして作業をするという流れができました。最大で業務委託7名と私の計8名と大勢いましたが、就職されていくなどして、現在は業務委託3名、社員2名となっています。業務委託の方はフルタイムではないので、時間を合算すると1名分ぐらいだと思います。

――山川さんは先駆的なアーカイブの実践者でいらっしゃるわけですが、最初からこれはすごい仕事だなと思われたのではないかと推測します。具体的にはどのあたりに喜びというか、手応えを感じられましたか?

学生時代に絵を描いていましたから、生の絵が見られる環境にいられるのは世界に自分だけなんだろうなという優越感がある時期がありました。同時に、「山川さんが整理作業ができないなら、そこまででいいから無理しないでね」と言っていただいていたので、私が頑張れば残せるという喜びはありました。

――なるほど。今私がやらねば、いつ、誰がやるんだという気概ですよね。いっぽうで、プレッシャーもすごかったのではないでしょうか。

それもあって、数年前に体調を崩してしまいました。周囲や家族から「辞めていいよ」と言われましたけが、辞めてしまうとアニメのアーキビストはまだ育ってないので、まだ辞めたらいけないんだろうなという感覚はありましたね。アニメアーカイブの仲間 がほしくて、新潟大学に勝手に突撃したんですよね。2017年2月でしたね、アニメのアーカイブをやってる大学がシンポジウムをするというのを知人から聞いて勝手に押しかけまして、会場で「教えていただきたいんですけど」と手を挙げて質問しました。とにかく仲間を作らないと、という気持ちでしたね。今回も京都精華大学さんにお呼ばれして京都に来ていますけども、現在は仲間が増えてきた実感はすごくあります。だから一人のプレッシャーは年々減ってきている感じがします。

――山川さんの活動は着実に成果を上げられています。今後どういう方向を目指されていますか。こんなことが実現できたらいい、などのお考えはありますか。

アニメのアーカイブ自体は世界的に求められているのは間違いないと思うんですよね。しかし今それを担っているのは、一企業とコレクター達です。コレクターも本人が亡くなった後にご家族が破棄してしまうことも多々ありますし、企業も利益が出ていないと発生する中間生成物の物量が多いので、全部を残すのは難しいと言われています。アニメ制作がデジタル化に移行しているので、今度はデータ量が増えてデータ管理にお金が掛かるようになっています。やはり、一企業や一個人が担うというよりは、ある程度国から支援を具体的にいただく段階にはきているだろうと思います。活発に動いている産業だからこそ、国から支援いただいたとしても企業側が求める内容が盛り込まれている政策を作っておかないと、企業側は安心してアーカイブ活動に協力出来ないと思うのです。ですから、ルールが決定する前にルールの内容に声が届くようなところにアニメ業界人が居続けなければいけないとは思っています。それと、アニメーションは作り方が時代によってコロコロと変わってくるので、その作り方をちゃんと知っておかないといけないんですよね。その作り方を知るためには、企業の中にアーカイブをやる人間がいないと最新情報は分からないと思うので、資料整理以外の周辺情報を集めることを私のアニメアーカイブ活動に位置づけることも大事なんだろうなと思います。今「国が」みたいな話になりましたけど、個人がどうしたいかというと、これはまた悩むところです。「ロールモデルっていますか?」って質問を事前にいただいていましたが、ロールモデルはいないんですよ。

――いないですよね。山川さんがアーカイブという新しい領域を、先陣を切って開拓されてきたわけですから。

「あの人みたいになりたい」と言ったら、あの人になるために何を練習しよう、何を勉強しよう、ということになりますよね。ロールモデルがいない中で、社会人としてなのか、アーキビストしてなのか、個人の女性としてなのか、出来ることを出来る範囲でしてきたら、ここに流れ着いたんです。

――今「流れ」とおっしゃったわけですが、山川さんの軌跡に続く人って、多分出てくると思います。というか、むしろ出てこないと困ります。アーカイブって、10年、20年、いや50年、100年ぐらいのスパンで考えないとダメだと思うのですが、どういう人に続いてほしいですか?

アーカイブ活動にはいろいろな仕事がありますから、アーカイブのどんな作業にしても、それを苦じゃなく続けられる人にやっていただきたいなと思います。仕事として嫌がりながらやると、多分悲劇が起きるというか人生が虚しくなってしまうので、苦じゃなくできる人たちに、ぜひとも入っていただきたいと思います。アーカイブ従事者が学芸資格を持っているとか、図書館司書資格を持っているとか言うと、かなり分かりやすくはなりますが、多分ちょっと違ってる気もしています。私は別に何の資格も持っていません。ただアニメの絵を描いてる人たちに幸せになってもらいたいし、その才能をみんなに知ってもらいたい、と思ってやってきた結果がここなので、アーカイブをやろうと思って入社したわけじゃないわけですよね。だから、知識がなくても参加しやすい状態になって欲しいです。あとは、海外からのアニメ需要を考えると、日本の外にも情報発信できる人たちにも入ってもらいたいと思います。倉庫の中で日がな一日8時間作業しても大丈夫な人と、海外に飛び回るのが苦じゃない人というのは、たぶんキャラクター的には別だと思うので、そういうお互いを補って、支えあえる人たちの両方が必要ですし、アーカイブにぜひ関わってもらいたいですね。

――先ほど、社内のコレクターさんたちが「いろいろノウハウを教えてくださった」というお話しをされましたが、その時に「どんなものを残すべきだ」ということはお話しされていたんですか?

もう会社をお辞めになった方がおっしゃっていたのは、「原画や動画を描いた人の名前を残してほしい」ということでした。絵が上手だからそれを残すこと以外にも、カット袋の「表に書いてある人の名前が大事なんだよ」というふうに言われたのがすごく印象的でした。

――描いた人はすぐ同定できますか? クリエイターの記名があって、その原画を残すと名前もちゃんと残っているというような状態だったのでしょうか?

確かに最初の頃は、カット袋に名前が載っている人がそのまま絵を描いているということが多かったものですから、カット袋をの表書きを残すことの価値が非常に高かったと思います。デジタル着色に切り変わった頃からは、作り方がスピードアップしていったことで、カット袋に記載されていない人も、実は原画を描いているということが結構ありましたので、表書きの価値が若干下がったように思います。そのため、表書きを残すことだけが重要というよりは、誰が描いたのかを残しておくことのほうが重要という認識でいます。誰が描いたのか、どこの絵を描いたのか、どういう人たちがその作品に関わっていたのか、ということです。

――それはやっぱり現場の方しか分からない情報で、外部の者が後から調べても全然出てこないものですから、大変な作業ですよね。だからこそ、重要な作業です。

エンディングのクレジットからでも分かるものは多いけども、それが絶対ではないです。演出の指示や作画監督による指示出しについては、修正用紙に人名が書いてあることがあるので、そこから辿ることもあります。新潟大学のデータベースに関していうと、絵の中にメモ書きがあったときに、そのメモがついていることがデータベース上に記録されていれば、「演出の指示あり」みたいなかたちで後から追いかけていくことができます。そこで、その名前がクレジット上にあるのかないのかを調べてみる。もしなかった場合には、メモが書かれた途中までは参加していた可能性があると推測できます。またリテイク前は誰が描いてたのかが残っていれば、そのメモが誰宛だったのかが分かりますよね。現場の状況を覚えているかどうかも調べられるかどうかに関わってくるので、そういうノウハウは伝えていくべきかなと思います。

――女性ということに関連してお伺いいたします。仕事の上で女性ゆえに得したなとか、あるいは損したなという事はありますか。

そうですね。今のご時世で言うとなかなか難しいところもありますけども、飲み会は断らないようにしていました。私は結婚が早かったんです。22歳で結婚して、結婚したことを表明した状態で「お酒飲めます」というと、結構食事のお誘いをいただきました。そこでセクハラがあったとかではまったくないんです。ただ、男性が多い中に女性がいると、みんなよく話してくれました。「俺、こういう時にこうやったんだぜ」みたいな、自慢話に聞こえるものかもしれませんが、アーカイブを仕事としていて、作り方やアニメの歴史に興味がある私からすると、資料整理に使える重要な情報って他にないわけです。とてもありがたかったです。私自身はI.Gの15周年の直前のタイミングで入社していますけども、背景さんとも監督さんともいろいろご一緒できて、会社の立ち上げの時からの情報が聞けて、頭に入れることができたというのは、実際に資料整理に非常に役に立ちました。これはお酒が飲めた女性だったことが大きかったですね。

――逆に、女性だから損したかなと思うことはありますか?

結婚したときに、「山川さんも結婚していろいろ大変だろうから、総務に移動させてあげるから、今、席を用意してるのでちょっと待ってね」と言われました。結局、物理的に席が空かなかったので総務に行くことがなくなりましたけども、その段階で私はアーカイブをやっているわけですよ。そして、アーカイブがやりたいんです。会社に家のことを大変だなんて言ったこともないんです。それでも、勝手に総務に席を用意されそうになったのは、驚きましたし恐怖を感じました。大変だろうから楽な仕事をさせてあげるよ、と言ってくださったことには感謝していますが、いつでもアーカイブを辞めさせられるという危機感を強く持ちましたね。

――最後に、アーカイブを今後志す人にメッセージをお願いいたします。

アーカイブをしたいと思っているということは、何かがその人の心の中で「残すべきだ」と思ったということだと思うんです。後世の人に伝えたい、残すべきだ、価値があるというふうに感じられたと思うんですね。そんな人が一人存在するならば、世界の人口で見たときにはもっと多くの人が価値があると感じていると思うんです。ですから、周りの方たちが「興味がない、いらない」と言ったとしても、仲間を探し続けてほしいと思います。もちろん、残したいもの自体を何かの理由で捨てることによって、すごく悔しい思いをするときもあると思うんですよ。その悔しい思いをするからこそ、次は予算を取ってくるとか、仲間を増やすとか、時間をかけるとか、次の手を考えられると思います。悔しいときには目一杯悔しがって、それを次のバネにして、本当に助けなきゃいけないものに出会った時には、絶対に助けるんだという思いを持って欲しいと思います。その経験すべてが将来のためになるので、へこたれず頑張るんだよ、と伝えたいです。

――胸が熱くなるメッセージです。アニメ制作の証人であるアーカイブが世の中に認められ、定着することを切に願っています。ありがとうございました。