出典: https://dock.geidai.ac.jp/wija/creators/%e6%9d%be%e6%9c%ac%e7%b4%80%e5%ad%90/ 印刷日: 2026-10-22

松本紀子

まつもとのりこ

主な所属
ドワーフ
主な役職・肩書
ブランド代表/エクゼクティブプロデューサー
デビュー作

NHKキャラクター「どーもくん」(1998)

代表作

NHKキャラクター「どーもくん」(1998)

「こまねこ」シリーズ(2006-)

Netflixシリーズ「リラックマとカオルさん」(2019)

コマ撮り短編映画「ボトルジョージ」(2024)

キーワード
#プロデューサー, #こま撮りアニメーション
聞き手
須川亜紀子、米村みゆき
構成
須川亜紀子
編集
須川亜紀子
インタビュー日
2024年12月
インタビュー場所
渋谷
公開日

――現在のお仕事と職種と、お仕事の内容をお聞かせください。

ドワーフというスタジオのプロデューサーです。ドワーフは独立した会社ではないのですが、独立した スタジオと考えると 、創立者の一人とも言えるかな 。合田経郎というディレクター/作家が始めたドワーフで、支える立場で(笑) 一緒に始めた「プロデューサーのほう」なわけです。だから、ドワーフの中ではヘッドプロデューサー的な 立場で、管理職の プロデューサーとなります。

プロデューサーっていうのは仕事をつくる人。仕事のきっかけをつくる人。クリエイターがやりたいことを実現することをする人なんです。 ドワーフ はこま撮りのアニメーションと キャラクターを作るのも 得意なスタジオ です。だから、キャラクター作って 、それを使ったアニメーションも 作る。キャラクターを使ってないアニメーションを作ることもありますけど。 とにかく、キャラクターを使ったストップモーションのアニメーションを作るのが得意だというのがドワーフの特徴です。

――そういった企画をクリエイターの方々とお話をして、それを実現するために何が必要かというのを考えていくという?

そういうこともありますし、もっと前に、「なんかこの人面白そうなもの作れそうだから、なんか作ってみない」って声をかけるケースもあります。パターンはいろいろですけど、私たち、割とクライアントワークもします 。もともと私は 広告のプロデューサーをやっていたので、広告や、受注仕事もやるので、何かを発注されてそれに対して答えを作るための企画をする ことも割と多いのです 。クライアントじゃなくても誰かが「こういうのを実現したい」と言っているのに相談に乗ることもありますし、「何か作ってほしいな」と言ってる人に、はまる何か をマッチングすることもあるし。そして、面白いクリエイターだなと思う人がいれば、その人に「何かやってみない?」って声をかけることもある 。

――こういう方に声をかけました、という例があれば、教えてください。

ドワーフって今年[2024年]21年目なんですが、ドワーフが始まる5年前に「どーもくん」という、私たちの人生が変わるNHKの仕事がありました。私、広告屋としてNHKの仕事をやってたんですよ。 BSが10周年の時「何かやろう」という企画の中に 「キャラクターを作ろう 」というのがあって、私自身はまだキャラクターなんて関わったことがなかったのですが、機会があるならぜひ、ってことで プレゼンテーションして、するすると通っちゃったのが「どーもくん」だったんです。合田経郎(注1)も初めて作る キャラクター、私も初めてプロデュースするキャラクターだったんですけど、それはやっぱりNHKのニーズがあって、そこに向けてキャラクターを作って、「そのキャラクターで何をするか?」ということを考えて、 いろいろな露出や活動プランを考える中で、 アニメーションを作ることになったみたいな流れがあります。逆に、どーもくんと同じチームでやっている「こまねこ」は、どーもを BSのキャラクターとして何年か やっていく中で 、今度は何かオリジナルのものを一つやってみたいなと思ったときに、ちょうど20年前の話になりますが、東京都写真美術館で「絵コンテの宇宙」展という美術展のプロデュースを頼まれたんですよ。「絵コンテの宇宙」展というタイトルは決まっていて、コンテンツを考える中で 「メイキング展にしていこう 」と 、いろんなアニメーションのメイキングの素材を集めて、コンテや素材を提示したりする中で考えたんです。究極のメイキングって現場じゃないですか。「現場を展示してしまえ!」と。美術館の中にスタジオを作って、そのスタジオの中で撮影したのが「こまねこ」なんですよ。まず場があって、合田に「新しいものを何か作ろうよ」と。 公開撮影というのは 今はドワーフのお家芸ですけど、あのときは公開撮影するに相応しいような何か、でも「好きなもの作っていいよ」と考えて もらいました。「好きなもの」と言われるとクリエイターは却って 困るんですけど。でもそれでできたのがコマ撮りをするネコ「こまねこ」でした 。

(注1. 合田経郎は、アニメーション作家、ディレクター。2003年ドワーフ設立。)

最近でいうと「HIDARI」は川村真司さんという面白いクリエイターがいて、長物(長編映画 )をこの人がやるとどういうものを作るのかなと思ったんです。川村さんは 長物未経験だったのですけど、「実はやってみたいと思ってたんだ」と言うので、「壁打ちの壁ぐらいにはなるから定期的に打合せしましょう 」と誘って打合せしている中で 「HIDARI」のアイデアが出て、 「これはもう絶対やったほうがいい企画だ」と走り出しました 。

――次に、キャリアパスについてもお伺いします。もともと広告のプロデューサーをされていたということなんですが、どのようにその道に進まれたのですか?

全然そういう勉強はしてなかったんですよ。美大も出てないし、普通に社会学を勉強してたんですけど、大学を出て毎日違うことが起きる仕事がしたいなと何となく思って、最初は ジャーナリストを目指してたんですよ 。「うんと嘘」か「うんと本当」がいいかなと思って。

大人になるとジャーナリズムが、「うんと本当」か 分からないんですけど(笑)。まずはその「本当」かドラマかCMか。なんかすごく丁寧に考えられた作り物の世界。で、CMの制作会社に入りました。バブル直後、世の中ではバブルが弾けてるけど、まだみんな気づいてないみたいな時代。

1989年卒業なので、広告が愉快な頃ですよね。毎日新しいことが起きるし「24時間働けますか」の時代だから。でもすごく楽しくて。経済的に豊かな時期で。 広告がいろんな表現の実験を競ってしていく、新しい映像表現を探す時代。よく「見たこともない映像のサンプル映像を探せ」っていう、禅問答みたいなこと言われてましたけど、本当に新しいものをどんどんやっていくという意味で、広告はいいなって思いました。当時は秒単価が一番高い映像制作じゃないですか。それで勉強できるのは良いかもなって思って速いサイクルの中で面白く仕事をしていました。

割とCMは性に合っていたなと自分でも思っています。最初はプロダクションマネージャーという現場でいろいろアレンジして、ADと映画でいうとプロデューサーアシスタントを兼ねるみたいな仕事ですけど、スケジュールと予算と、現場の細々した管理をする仕事からスタートしました。私は現場の仕切りとかすごい悪くて、あまり優秀じゃなかったんですけど、でも楽しかったですね。その頃は、現場には女性が本当に少なかった時代ですよね。 ヘアメイクさんしか女性がいないみたいな。女性監督もほぼいなかった。照明部カメラマンも女性がいない。プロダクションマネージャーのアシスタント、私の立場に女性がいて、ロケとか行くと、みんな雑魚寝してるけど自分はどうしたらいいんだろうと思うような時代でした。

――CM業界でもそうなんですね。

そうなんです。という時代ですが、私自身は女性であることの引っ掛かりは 時々はあったけど、そんなに問題だとも思わなかったし、広告業界では私が入った会社は先進的でありたいと思ってるから、女の人が元気に働いてる会社はイケてるだろうって思うような 雰囲気もあったんですよ。女の制作連れてる男のプロデューサーって結構先見の明があって、「俺ってオープンだぜ」っていうような、ファッション的に女が入って来やすかった業界だったのかもしれないです。普通の堅い会社に比べると、女であるってことが一つの個性として「面白いでしょう 」っていう、「俺たちのチーム、女の制作が仕切ってるんだぜ、面白いだろう」みたいなところで、チャンスがもらえて、あまりストレスがなかったかもしれないですね。

――その時の同期は女性一人だったのですか?

女性一人でしたね。うちの会社でプロダクションマネージャー、制作の女性は二人目だったのかな。当時はまだ40人いないくらいの会社で、4人採用した内女性一人でしたね。40人の会社で4人採るって「どれだけ辞めるのか?」と思われた。辞めても大丈夫と思ったら、結局全員残っちゃう奇跡の年になるんですけど。

(女は)「そんなに重いもの持てないし、ごめんね」って思いましたけど。でも「その代わり明るい現場にして美味しいお弁当用意するね」みたいなぐらいの感じでやってましたね。すごい個性が認められる業界だった、というふうに勝手に思ってたのかもしれないです。女で苦労したと思ってる同業者は多分たくさんいると思うし、後になると「なんか女ってさ」と言ってる人が結構多いことにも気づくから「そうなんだ」と思うこともあったけど、私はあまりそのストレスを感じないで済む環境の中に入れたんだと思います。

――エントリーする時も、女性の採用枠があるかなという心配はありましたか?

女性総合職を採れ採れ!みたいな時代だったので、イコールであるという建前だけど、やっぱりこの業界は女性が少ないだろうなと思いながら入ってました。

――1985年に男女雇用機会均等法が施行されて、それで女性を入れるのが会社のステイタスみたいなところがありましたか?

ありました。でも圧倒的に男性が多かったですね。先輩はみんな男性だったし。私のすぐ上にいた女性は、いろいろあってすぐ辞めてたんですよね。そういうことがあったから、私の採用が決まりそうになったときに、すぐ上の先輩が「女が入ると社内の風紀がいろいろ乱れるから止めたほうがいい」みたいなことを言ったけど、私の写真見て「こいつなら大丈夫だ」って言ったそうで。セクハラパワハラ的にはどうかと思いますけど、そういうギャグがまだ大丈夫な時代。「お前なら大丈夫だと思ったんだよね」みたいなことを後で言われて 「すみませんね、色っぽくなくて」みたいな、そんな時代です。

――そのときのお給料は男女差ありましたか?

うちの会社はなかったです。

――そうしてキャリアを積まれて、「どーもくん」に出会うまでは何年くらいだったのですか?

CMがすごく豊かな時代だし、楽しくやって、29歳でCMプロデューサーになったんです。CMプロデューサーは、営業職ですよね。代理店からクライアントから仕事を受けて、それをさばいて作り上げる。監督を決めるケースもあるし、監督が決まっているケースもあるみたいな感じです。プロダクション、制作することの入口になるっていう仕事がプロデューサーなんです。

プロデューサーになるちょっと前に映画の仕事で映画志向がある社長に、アシスタントとして オーストラリアに連れて行かれるんです。社長は ディレクター上がりの人だったので、お金とスケジュールが分かるプロダクションマネージャーの私を、社長がプロデューサーやる仕事にアシスタントとして連れていくことにしたわけです。そこが国際共同制作で、日本サイドはNHKの仕事だったんですよ。日本とオーストラリアと共同制作で、そこで私の人生が狂い出すんです。CMじゃない仕事を一本やってみて「おもしろいな。映画のプロデューサーってこういうことか」と。チームにはアメリカからのハリウッドのプロデューサーもいて、プロデューサー帝王学、つまりプロデュースとは何か、をいろいろ教えてくれたんです。まだぺーぺーな女の子って感じだったんですけど、広告のプロデューサーとは違う「映画のプロデューサーってこういうことなんだ」みたいなことを、三か月ぐらいオーストラリアにいる間に社長とそのプロデューサーから徹底的に 教えてもらって「なるほど、こういうプロデューサーもあるのか」みたいに思って帰ってきました。

どちらにしても、早くプロデューサーになりたかった。プロダクションマネージャーとしては現場の仕事の仕切りが悪い、と怒られまくってた ので、会社のためにも(笑)早くここからは抜けたほうがいいとも思ってました。その仕事が終わった後に「映画をやる部署に移動しないか」とも言われたんですけど「やっぱり広告戻ります」と言って戻り、その後すぐにプロデューサーになりました。いろんな仕事やってる中に、その仕事で繋がってた方が、NHKは異動があるので広報みたいなところに移られたときに「松本さん一緒に仕事しよう」と言って、BSのプロモーションをずっと一緒にやってる中で「どーもくん」が始まるきっかけができたって感じですね。

――オーストラリアにいらっしゃるときは、周囲には女性はいらっしゃいましたか?どんな職位の方ですか?

いました。プロダクションセクレタリーみたいな、ADたちのサポートをする仕事と、経理、チーフアカウンタント・・「出来る女!」みたいな方がプロダクションオフィスで一人だけ綺麗な格好でいました。夕食会にも一人だけ素敵な服着て現れる。私もすごいお世話になったんですけど、カッコイイ女性でしたね。誰も頭が上がらない女性でした。

――オーストラリアでも、アメリカから来た方でも、やっぱり女性はトップではなく、サポート的な感じですか?

オーストラリアサイドのプロデューサーは女性でした。共同制作をよくやられる方だから日系の会社にも所属されてる方でしたけど女性でしたね。結構周りにちらほら女性がいま したね。

――それで、精力的にお仕事されていくということなんですけども、今度は採用する立場になるじゃないですか。そのときには、ジェンダー的にポリシーのようなものはありましたか?

基本は適した人がいれば、性別関係ないと思って採用します。やっぱりこま撮りって割とニッチなので、すごい好きな人が少数来るみたいな感じになっちゃうんです。

実は私はすごい「こま撮り好き」ってわけじゃないのです。でもすごいこま撮りLover じゃないのがこま撮りやってるのがいいと思ってるんですよ。好きすぎると客観性がなくなっちゃう。こま撮り好きな人は、こま撮りであるだけで嬉しくなっちゃうから、面白い作品かどうかって判断が鈍る気がしていているんです。こま撮りの一番の弱点は、こま撮りであることが一番の価値になっちゃう ことなんですよ。こま撮りって言うだけで、みんなちょっと優しくなる。CG業界が堤大介監督と仕事をするときに「楽しさに溺れないでください」って再三言いました。堤さんとのお仕事、楽しいですよ。今日から現場と思うと、本当楽しい。楽しいけど、そこで溺れ ちゃうとつまらない作品ができちゃうかもしれないから、とにかく「こま撮りの楽しさに溺れないでください」と 言うんです。だけど、採用となるとやっぱりコマ撮りの楽しさを知って求めて来る人が多いから、その母数は結構少ない。あまり選んでいられないというのもあるんですけど。

うちの代表(*2024年12月現在)の 合田経郎が「なんかドワーフって3時になると、みんなでケーキを食べてお茶を飲んでみたいに思うかもしれないけど、そんなんじゃないからね」って言うんですけど、本当にそうで、割とガテンだし、割と体育会系だし。私、こんな感じだし…っていう意味では、しっかりモノづくりの仕事をしたいと思ってくれれば、 誰でもいいと思ってます。ただ、うちは今女性が多い傾向があるので、実は男性を採りたいと思っちゃってますね。それも逆差別でダメなんですけど(笑)。

――採用する場合にも、なるべく客観性を持った人が欲しいですか?こま撮りLoverじゃなくて。

ポジションによりますね。クリエイターはそれもアリだと思うところもありますが、共同作業なので。ドワーフってすごく大きな共同作業の現場も多いんです。こま撮りって極端で、作家が一人で作ってらっしゃるものもあるじゃないですか。そういう個人作家もいるし。うちはそれに反して割と大きなチーム作業になって いくみたいなこともするので、「私が好きな可愛いものをひとりで作りたい」みたいな人だと、逆にうまくいかないと思うんですよ。自分が1パートになるってことに耐えられるかっていうのを見る意味では、共同作業ができるコミュニケーション能力が大事ですね。あとタフであることかな。心身ともに。体が丈夫じゃなくてもいいんですけど、やっぱり柔軟でタフな人がいいなと思うけど、それは面接では意外と見えないですよね。

――お知り合いから紹介は?

あります。自分が学生の頃は「縁故ってさ~どうなの?」って思ってましたけど、やっぱり縁故は固いですよね。ある意味どういう人なのかっていう十分な情報があるから、紹介で入ってきちゃうのはしょうがないなと思いますね。今、大人になると縁故を採る気持ちはよく分かる。もちろんチャンスは平等であってほしい し、思わぬところに面白い、いい子もいるし。あと最初どうかなと思ったけど二年後にすごい花開く子もいるし、いろいろ見てるので。相性も、タイミングもあるし、上に付いた人とのうまい化学反応もあるし。私はよく「音を立てて伸びる瞬間がある」って言うんですけど、竹みたいにヒュッと効果音つけたくなるみたいに伸びる年がある子がいる。全然「どうなんだろうな、この子。いい子だけど、どうなんだろう」と思ってたら、ハッて思うような目覚しい伸びをする瞬間って若い人はあるので。だから、別にいつ誰にそれが来るか分からないから面白いなあと思ってます。

――最初からプロデューサー職として採るんですか?

最初からプロデューサー職で採るのは経験者の中途採用ですね。他でプロデューサーをやってたり、プロデューサーに近い仕事をやってた人がプロデューサーになるってケースはあります。そうじゃないと、うちもプロダクションマネージャーからプロデューサーにするっていうケースが多いですけど、多いと言ってもそんなに人数いないので。ずっと私のアシスタントしてた子がいつの間にかプロデューサーになるとか。プロダクションマネージャーやらないけど、広報的なことをずっとアシスタントしてた子が、プロジェクト立ち上げだしてプロデューサーになるとかっていうのもあります。

――そういった職には、女性は多いのでしょうか?

うちはプロデューサーは本当女性が多いですよね。クリエイターは男性が多くて 。プロデューサーは1人を除いて全員女性です。

――それは意図したわけではなく希望していらっしゃったんですか?

全く無いです。結果的にそうなっちゃった、みたいな感じですね。女性のディレクターももちろん採ったことあるし、今ADの女性ですごく面白いスタッフがいるし、その子がやがてディレクターになっていくといいなと思って見守ってます。たまたまうちは、女性はプロデューサー、男性はディレクターが多いです。「本当に何とかしたい、男欲しい」って言って、「また~紀子さん!」って言われます。CMのほうも、私20年ぐらい前に、採用するときに何も考えないで面接すると最終面接8割女になるっていって、みんな悩んでました。いや、女の子は面接強いんですよね。「できる男はどこで働いているの?」ってみんなで言ってました。「メーカー とかそういうとこ行くの?そういう人はクルマの会社 とか行くの??」って言ってました。どうなってるんですか。

――では、ご自身のことについてうかがいたいのですが、子ども時代、アニメなどポピュラーカルチャーについてのご興味はありましたか?

普通にアニメ好きでした。高校ぐらいの頃はアニメに夢中でした。『アニメージュ』買い倒してました。『宇宙戦艦ヤマト』とか。『ヤマト』の時はまだ小学生だけど、ファーストガンダム世代でもありますね。『機動戦士ガンダム』のことを語ったら一晩いけますよ。CMやってるとき池田秀一さんがナレーターで来たときに「シャアが来た」と思って気絶しそうになった世代です。

――すごい。シャアと一緒にお仕事されたんですね。

はい。でも、まだペーペーだったんで当時。あまりそれを表に出せず。でも、年間何百本観ますみたいなほどのアニメや映画フリークでもないし、割とライトなアニメ好き映画好きでした。

――『ガンダム』などの男性向けの作品がお好きなんですか?

割と魔法少女ものみたいな時代が1回抜けて、高校生ぐらいにアニメブームが来た頃にアニメをバーッて見るようになって、大学入ってしばらくして、 離れたのかな。ずっとアニメを見てるわけではないですね。

――大学時代は何をされていましたか?

大学時代は映画を撮ってたんですけど。でも才能無い! と思ったんです。映研みたいなサークルで映画撮って、そこで「私、監督するよりも段取りするほうが好きだ」と思って自分は プロデューサー志向なんだと思った。私、他の子たちより映像フェスティバルに入るんですけど、自分で見ても大して面白くない 。なんかの真似してる、綺麗にまとめたものしか作れないと思って。「松本、入賞したね、すげぇ! 」とか言われるけど、「いやいやいや、これはなんか全然小器用にやってるだけで これじゃダメだ」と思った。そんなことよりも段取りしたりとかするほうが全然楽しいなと思って、私は演出じゃなくてプロダクションマネージャーとかプロデュースを目指すべきだと 思ったんですね。

だから映像業界目指す人の多くは監督目指しますけど、私は明確に監督は無理、才能ないと思って。できないことをどっかで判断していくのもすごく人生では大事で、それはすごいガッカリなことでは なく、言い訳でもなくどんどん得意なほうにシフトして行くというのは、人生の選択で大事だなと思うのを、割と最初にやったのがその時かもしれないですね。そんな自分が監督やるようなリスキーな勝負したくないし、だったらプロデューサーでやろうと思って。映像業界での居場所はそこじゃないと作れない気がしていました。

それも 客観性ですよね。自分の作品を客観的に見るとそんな面白くないよねって。佳作にはなるけど、絶対これはグランプリにはならない作品だね、みたいなことを思った。だからゼロイチで生み出すクリエイティブな能力は無いんですよ。私はそもそも、きっとセンスもあんまり良くない。それは広告やってるときも思ったんです。あんまりセンスもよくないけど、勉強して 今これはいいとか悪いというのは、自分の中にデータベースを作れば分かるじゃないですか。そうやって勝負していくプロデューサーになろうと思って、これが今いい、これ今よくないとか。この作品全然好きじゃないけど、今こういうのウケてんだとかそういうのを自分の中で。 広告がいいのはやっぱり場数が多いので自分はよくわからないけど、ものすごいキてる監督とやるときは、この監督が言ってることにイヤって言わないことにしようとか。全部1回受け入れてみて、ちゃんと聞いて、本能的には分かんないけど理屈でちゃんと理解してプレゼンしようとか、そういうことを意識的にすごいトレーニングしました 。未だに自分は「センスねぇ」と思ってますから割と謙虚ですよ。

――女性だからといって、苦労したということはあまりないのですか?

ないです。自分ができることできないことって仕分けが、いっぱいあるじゃないですか。ラベリングっていっぱいしますよね 。足が早いか遅いかとか、重いもの持てるか持てないか、学歴とか出身地とか。言っちゃうと美人か美人じゃないかとか、いろんな客観的なラベルを自分にバーッて貼ってく中に男か女かというのが一つあるぐらいです。男とは違うけど、男か女かということよりも大事なラベルはたくさんあると思うから、そこをもっと見ていこう。クリエイティブのセンスがない。だけど、いろいろなものをいっぱいたくさん見て補っているとか。音楽が好きにしてもどういう音楽が好きかとか、そういうラベルを貼っていく中に「女」っていうのが貼られてるぐらいの気持ちです。

――名言ですね。そういう思考になるのに、何かきっかけはありましたか? 本を読んだとか、こういう生き方を見てこう思ったとか。なかなか達観した見方ですよね?

そうですか?なんとなく、整理するとそういうことだなと。人にはいろいろな個性や適性があるけど、それを決めるために考える、たくさんあるラベルのうちの1枚が女だというラベルだったんだな、と。そこにはここ2年ぐらいで、この言葉には行きついたのかな 。うん、そういうことかって。

――ロールモデルはいましたか?

ロールモデルがいなかったのがすごくいいと思ってます。全てのロールモデルが男性だったんですよ。素敵なプロデューサーが私の先輩にたくさんいて、私を面白がって使ってくれた先輩たちも、みんな男性だったんですよ。 CMから映画の仕事に出向しろって社長に言われた27歳のときに、CMやってる全ての男性の上司に「やめたほうがいい」と言われたんです。「君はCMでキャリア積みたいと思ってんだから余計なことしないほうがいい。CMでも今結構いい線来てて、プロデューサーまであと一歩ぐらいなんだから」。その映画の仕事が1年か1年半出向みたいな感じだったので、「それやるとキャリアが遅れるよ」と言われたときに思ったのは、「これ言ってるの全員男性だ」と。男の上司がみんなこうだって言ってる。でも、私はこの人たちと同じにはなれないし、この人たちを超える…って言うのはおこがましいですけど、この人たちより面白いプロデューサーになるためには、この人たちがやってないことをやらないとダメだと思ったんです。上司全員が「やめたほういい」って言ったので、「ここに行ってみたほうがいいのでは」と思ったんですよね。 要するに、その人たちが悪いと思ってはいないけど予測できないから「やめたほうがいい」って言ってるわけじゃないですか。じゃ、この人たちが予測できないことをやって、この人たちが辿ったキャリアのあり方から 一回脱線しようって思ったんです。そうすると自分も焦らなくなるし。早く出世したいとか、早くプロデューサーになりたい、同期よりどうなりたいとかっていうのを「1回私、脱線しちゃったんで」と思って楽になろうかなと思ったのです。結果的にここでスピードがあがりましたね。プロデューサーとしての違うエンジンが自分に付いたって今だと思います。あれがなかったら人生は全然違ったと思って。だから、そういうのを意図的に思ったひねくれものだったのかも。

――それは女性のほうが柔軟性があるということでしょうか。

それはあるかもしれないです。

――チャレンジ精神がある?

別に女だからじゃないのかもしれないけれど 、ちょっと下がって見ることができて、あまり焦らないでできるというか。男って割と「イケイケ」って感じだけど、女はちょっと引いてみてもいいかって。3歩下がれって50年前言われたことを考えれば、1歩ぐらい全然下がれますよって感じで。下がって、その後ポンっと飛べばいいやみたいなところもあるから。チャレンジ精神というよりは柔軟性とかフットワークの良さって言ったほうがいいのかな。

――既存の何かの価値観のほうに行かず、自分はそこの土俵で勝負という。

そうですね。同じ土俵でやたらに勝負しないでもいい。男だ女だという戦いだけをするって、あまり本質ではないというか、本当に手に入れたいのはいいプロデューサーになりたいってことだったから、女だからとか男だからっていうことは論点の一つではあるんだけど、一つでしかないっていうこと。だったら違うところで、なんか面白いことしたほうがいいかなって感じでした。

――キャリアパスの中で、女性には結婚・出産・介護などのライフステージがあります。どうネゴシエーションされてきましたか?

薄っすらと葛藤しながら。薄っすらだから解決しないできたみたいなのはあります。結婚してないんですよね。ずっと独身。それが可哀想でもないんだけど 「可哀想だな」みたいに言われたこともあるし。「仕事ばっかりやってて可哀想だね」って、そこは、うるせえな(笑)と思うんですけど、しょうがないかって思ってて。まさに先日若い既婚の女性のプロデューサーと一緒に話してて、婚活して結婚しましたみたいな。いや私たちの時代は活らないと婚できないと思ってなかった。だから、27、8歳になると自然に結婚できるかと思ってたら、自然にできないってことに40歳ぐらいで気づくっていう・・「あれ?」みたいな。うーん、時代ですかね。そう いう意味では、そういう努力をしなかったですね。仕事が面白くて。そういう努力をしとけばよかったとも思うし、結婚は別にしたくないわけでもなかったし、自然にできると思ってたし、子供も全然普通に持つと思ってたし、でも持たない人生でも、しょうがないか。だから仕事くらい一生懸命やらなきゃなと思うぐらいです。折り合い付けたって、そこもなんか一つのことっていうか。考えたことありますけど、どうしよう、そろそろ生まないとヤバいんじゃね、とか。「人工授精、日本、可能」みたいなこと検索してみたことはありますけど。 なんか古いけど、やっぱり女たるもの子孫を増やすのが仕事じゃんと思うのもあるから、ちょっとだけですけど。一番やらなきゃいけないことやってない女かなと自分のことを思うところもなくはないけど、でもそれを「置いといて」仕事しちゃうくらいで、そのプレッシャーもあまり周りがなかったんです。私一人っ子なんですけど。

――親御さんからのプレッシャーはありませんでしたか?

なかったですね。うちの親は、割と一人っ子だからちゃんと一人でやっていけるようになれっていう親だったんですよ。だから、手に職を本当はつけてほしいと言い含められてきた。父は公務員だし、母も教員からの専業主婦なので全然業界は違う家庭なんですけど、とにかく「ちゃんと一人で暮らしていける子になれ」っていう人だったので「仕事ちゃんとしろ」っていうのは、それもひどいプレッシャーではなく緩やかにそういうふうに教育されていたんです。「ごめんなさい。孫の顔も見せられずに」と思ったけど「しょうがないよね」みたいな感じだったので、どう思ってたのか、我慢してたのか分かんないですけど、割とそこのプレッシャーはあまりなかったですね。

――お友達からはどうですか?

若い頃ね、本当破産するっていうぐらい結婚式に行って、フランス料理食べて。「 給料安いんだから 、いつか返してもらうよ!」って笑ってたんですけど、でも仕事が本当にずっと忙しく楽しかったので、これに代えられるものはないからしょうがないやって感じかな。

――結婚しても仕事を続けるようなお友達だったんですか?

高校時代の友達やその頃の友達は辞める人もいました。やっぱりどんどん仕事の近い友達しか会わなくなっていくのだけど、友達はずっといると言えばいる。そういう意味ではあまり友達が「みんな会えなくなっちゃった」みたいなストレスもあまりなく。

――結果、両立されている仲間が集まったような?

しばらく私生活が無いみたいな時代もあったかもしれないですね。そして仕事で知り合った友達もいるから、寂しくないどころか楽しいみたいな。あと、独身の女はなぜかつるみ、寂しくなくなる。そして、誰も抜けないっていう。その中から誰か抜けていけば少し焦るんですけど、誰も抜けぬままでした。セーフティネットワークが組まれています。

――介護に関しては?

そうですね。 そこは経験しました。父は割と早く亡くなったんですが、母は7 年前に亡くなったんです。癌で1年半以上闘病したんですが、そこに寄り添う生活をしました。まだコロナ前だったので在宅とかも全然考えられない時代。実家は埼玉で、一人っ子なので母親に時間を使わなきゃいけなかったことがあったんですよ。私は何事もそんな「大変だ」と思わないたちなのかもしれないので、大変だーとは思ってなかったんですが、一瞬仕事辞めることも考えたんですよ。これは母親に時間を使わないとダメなときかもって思った。

そのときに面白かったのは、うちの合田に母の話をしたら、「好きにして良い」と。「辞めてもいいし、休んでいいし、お母さんのために時間を使ってあげなよ」って言ってくれて、ありがたいなぁって思った。逆に全然仕事に関係のない母との共通の知人の独身のお姉さまからは「絶対仕事辞めちゃダメだ」って言われたんですよ。「お母さんが亡くなった後も、あなたの人生続いていくんだから、いま、少しブレーキ踏んだとしても仕事は辞めちゃダメだ」って言われて、真逆のことを真逆の立場の人から言われるもんだなぁと。母親に近い人からは「仕事を辞めるな」と言われて、母親から距離のある人は「辞めてもいいよ」って。これは面白いなと思って。多分仕事は続けるから、ドワーフはもう長くやってきてたので、ある程度家のことに時間使わせてもらって、申し訳ないけど「私のサポートしてください」っていうふうにお願いして、今回は社内のみんなに甘えようと。「私、急に出られなくなるかもしれないから必ずバックアップ誰か入ってね」とお願いする とか。ちゃんと「甘えてます」って言って甘えようと思った。

そのときすでに、子供が生まれて仕事してる後輩がいたんですけど、これは大変だなと思ったんですよ。家に心配事が一つありながら仕事するって、これは大変だって 。唯一の違いは彼女のお家にいるものはだんだん成長していって希望があって、私は母がやがて死ぬだろうと思いながらっていうこと。逆に言えば、母は一人でご飯作って食べるし、でも彼女側はご飯一人で作れない人が家にいるっていう。彼女のことは、もっと思いやらなきゃいけなかったなって思った。それを知るために、母が病気になるってことが私にあったっていう。やっぱり年上から順にそれが起きるというのは、後輩に対してそこを思いやってあげられるようになるためなんだな、と。その直後に、親が急に手術するという後輩がいて「父が手術なんですけど母がいるのでの自分はいいんですけど」って言ったときに「帰りなさい。私がカバーするから帰ってあげて。お父さんのためじゃなくてお母さんのために帰ってあげたほうがいいよ」と言ってあげられるようになったのは、母のおかげだな、と。前だったら「僕は大丈夫です」、「あ、そう」と言っていさせちゃったけど、「家の事を考えなさい」と言えるようになったのは、母のことがあったからですね。それがすごい良かった。女だからじゃなくて、それは男でも女でも。「育休取りたい」と言ってる男の子に「取りな取りな」と笑って言えるようになったのは、そのときのことがあるからですね。

――それは本当にお母さまからもらった宝物ですね。

そうですね。 私の母はケイコっていうんですけど、「ケイコさん、ありがとう」って思う。割とカジュアルな関係だったし、彼女も私の仕事を面白がってたから、病気になってから一人でいるのが不安だったこともあるだろうけど、私が仕事を続けるのをなんとも言わずに「次いつ帰ってくるの?」みたいな感じでずっといてくれた。でも、後半はやっぱり割と病院に張り付いていました。重要なところだけ会社に出てって感じでやらせてもらいましたね。ドワーフのみんなもすごく優しかったなあ。だから、そんな中で「本当ごめんね、いろいろ」と言ったら、合田が「そこは謝らなくていいとこだから」と言ってくれたのもありがたかった。すごい懐が深いリーダーだな、と思った。

――素晴らしいですね。

本当、合田えらいです。そういう合田と一緒にやってきたから、ドワーフはこういうふうになったんですね。

――私も母の病気で介護していました。仕事しながらで、長距離移動で大変で。

そうなんですよね。過労死するって思う瞬間もありますよね。 でも変な話、いつかは終わるから頑張らなきゃとも思いながらやってた。でも、いつかは終わるっていうのもなぁ、とも思いながら。でも私でも、なかなか仕事優先ばかりではないなっていうのは、自分で身をもって知りました。そして、人間としてこういうことも大変なんだよな って、というのも分かったから。

――女性が働き方について、後輩の方が悩んでいるときは、どのようにアドバイスを?

私、自分に子どもがいないし結婚もしてないから、後輩の女性たちがどうやって働いてるかはすごい大事だと思っています。私が見せられないからいい実績を作っていってほしい。彼女たちがちゃんと働けるように、そしてまわりもそれが受け入れられるようにと思います。それには、フェアであることがすごい大事だと思う。男性、女性であるからじゃなく。結構#MeToo運動のあと女の権利の話ばっかりで逆にそれがアンフェアになってくみたいになるのも嫌だから、ニュートラルにフェアでありたいと思っています。

子供を産んだ女の人をサポートしなきゃってのは、みんな思ってるんですよ。「ねばならない」ってなってるのを、変に強いるのはよくないって思ってて、そこをうまくしないと。だから、ドワーフで初めてお母さんになったスタッフには「あなたウチで初めて産休とって子どもを持つ人なんだから、 この後後輩が子供を作ったときに「またあいつ、子供か」ってならないように頑張ってね」って言って、「悪いけどあなたは時短で働いている以上は給料は戻さないし、結果を出したら戻すようにする」って言ったり、結構厳しく接しました、彼女はすごい悔しがって、でも悔しがったけど結果を出したんですよね。時短なのにどう考えてもフルタイムで働いてる人よりパフォーマンス高いじゃんみたいになって。そうしたら、時短だろうがなんだろうが結果が出ればお金戻すっていう、そういうカルチャーにしていこうとしていました 。

逆に男でも誰でもパフォーマンス低ければ給料は下がるし。ドワーフ自体で今27、8人のスタジオなんですけど、フリーの方と仕事することもすごく多いので、社員だけぬるくうまくやってるとかっていうのも、ちょっと嫌なんですよね。フリーの人たちはそれなりにリスクとってやってんだから、彼らに対してもフェアでありたい。全部に対してフェアでありたいと考えると、過剰に守られてるのもおかしい気がするし。だからといって、もちろんちゃんと守ってあげなきゃいけないとは思うし、使える制度 は使えばいいと思うんですけど、そこで仲間に対して「てへ、うまくやっちゃった」みたいなことはしないようにしたいとな思ってます。

――社員27、8人の中で、男女の割合はどのくらいですか?また、年齢層的にはどうでしょうか?

丁度半々ぐらいだと思います。50代が何人かいて、40代30代がパラパラっていて、今ガッと若い子が増えたので30歳前後が意外と多く、半分以上です。ちょっと高齢化が進んで、上が重かったのですが、最近若手が増えて良かったと。ジェンダーよりそこっていうね、年齢がやっぱりちゃんとばらけててほしいなと思って。年功序列でも全然ないので、若くても面白い子はどんどん上がってくればいいと思うし。ちゃんと「次世代」を作んなきゃと思ってます。マネジメントも 少し譲っていこうとしてるんですけどね。 少しと言わずガンっと。そういうときに、年功序列で決めるんじゃなくて、若い子をポンと上げたりとかというのは割と意図的にしていきたいと思ってます。年齢だけで決めないで、次世代のマネジメントはやってみてもらおうかなとか。適正も見てそれでできるかな、と思ってます。

――離職率は低いですか?

低いですね。比較的低いと思います。特殊な仕事も多いですからね。でも辞める人もいますし。「合わないね」って言って、お互いで契約を切るケースもありますね。

――定年は何歳ですか?

定年は60歳です。60で会社的には65までは延長可能。そこらへんも含めて人生を考えて手本を見せるのも今の課題とか思います。いろいろ答えを出し始めてるんですけど。それもあるので、ギリギリのリミットが来る前にちゃんとマネジメントは次世代に渡して、少し伴走できるようにしようとか。そして、女性のキャリアで言うと、サンプルが少ないところ、定年後はどうなのかみたいなことも提示しなきゃと。 どう辞めてどう続けていくかっていうのも今考えているところです。

――定年後も、やはりプロデューサーを希望されていますか?

そうですね。だから、それが私の今の最大のテーマですね。仕事好きだし、一人だし、やることもほかにないし(笑)。だから仕事続けるためにどうするかっていうのを考える。実現しなきゃなと思いながら、ここ数年は考えてるって感じですね。ドワーフを合田が始めて、私が一緒にそれを支えてみたいな感じでやってきましたけど、ドワーフが続いていくために、これだけじゃ駄目だろうと思ったんです。割と早めに次世代にハンドルを譲って、スタジオとして続いていくようにしたいと思ってる。私たちが辞めることがテーマというよりは、互いに続けることがテーマですよね。という感じで考えていくときかなと思っています。

――こま撮りを続けたいとか、それとも全く違う分野とか、そういった希望は?

なんでアニメーションの中でこま撮りをやってるかというと、こま撮りが一番普通の顔して海外に出られる仕事だと思っているんですよ。CGってやっぱり海外が強いじゃないですか。もちろん日本も頑張ってると思うし、面白い会社はいっぱいあると思うんですけど、バジェットもハリウッドがやっぱり圧倒的に大きい。 2Dは、もちろん日本のアニメは私も好きだし日本のアニメの影響ってすごいなと思うけど、やっぱり日本のアニメって「アニメ」っていうジャンルであって、「アニメーション」とはちょっと違う日本独自の ジャンルですよね。でも、こま撮りだけは国境がないんですよ。誰も「どーもくん」がどこの国で作られてるかって気にしてないんですよね。「こまねこ」もフランスでずっと公開されてるのですが、フランスで作ってると思われてる。それが面白くて。それもあって、配信プラットフォームに割と入っていきやすかった。 配信って国境がない。あと、エバーグリーンなものが欲しい。何年経っても同じに見えるもの 。最先端の技術って、やっぱり古くなっていくじゃないですか。

最近よく言うのが、こま撮りはCGにずっと存在を脅かされてきた。そして、CGってみんながやるようになった。そんな中で、世界で本気でこま撮りをやってる会社ってそんなに沢山は ないし、みんな仲いいんですよ。横のつながりがある。助け合うし、リスペクトし合ってるし。フランスの会社が「『HIDARI』見たけど、ウチは3Dプリンターで木彫り風、できるかもよ」とプレゼンされたりとか、そこで「いや全然違うじゃん 」とか「じゃ、ここはできるかな」とかって、そういうのがこま撮りってすごく自由にやり取りできるから面白い。こま撮り業界は、今すごくレベルアップしてるので、面白いもの作るところが増えてるし、これを続けていけるように働きたい。今いろんな方が「ドワーフというこま撮り屋の女将です」って言ってくれるんですけど、こま撮り屋の女将的なプロデューサーは多分やり続けるんだと思うんですよね。『HIDARI』というプロジェクトはドワーフだけじゃなくてTECARATという日本の、なんなら「ライバルでは?」って言われてる会社とコラボレーションしましたけど、得意技の違ういろんな会社とコラボしてもいいし、そこをもっと日本だけじゃなくてつないで、一緒にやったりしたいっていうのは思ってますね。そこで、ちゃんとプロデューサーをやりたいと思ってます。

――素晴らしいですね。ドワーフさんは、こま撮りの撮影をオープンにされたりとか、子供たちを呼んでワークショップされてますけど、教育的な活動に関してはどうでしょうか?

いいところ突いてきますね(笑)。今そこもやりたいなと思う。仕事ができるたびにスタッフを取り合って「なかなか、いい人いないね」って言ってもしょうがない。 自分たちでそういう人をつくり、育てにいかないとダメじゃないかって思っています。そこにすごい問題意識を持ってるうちの若い新世代のリーダーがいるの ですけど、このあいだ二人でイギリスに行って、アードマン・アカデミーを訪ねて いろいろ話を聞かせてもらい、どうやったらいいのか、どうしているのかっていうことも勉強しています。スタジオがやる学校の面白さ、価値みたいなことがきっとあると思うので、専門学校的なことだったり、ワークショップを連続的にやるかもしれないですけど、なにか していきたいなと思います。

――大事ですよね。実は最近、日本ではアニメーション教育をどういうふうにしているのかとイギリス人に聞かれた時、ドワーフさんの話を出して、そういった一般の人や子供たちに作り方を教えて、それで撮影させて、達成感を感じてもらうっていう話をしたんですけど、学校単位では美術学校とか専門学校はあるけれども、アニメーションスタジオがそこにかなりコミットしてるのはそんなにないなって。ドワーフさんは長くそういうことをされてるので、もっと宣伝してもいいんじゃないかなと思ったんです。

それこそ、そういうことを考えていきたいなと思っていて、スタジオとして門戸を開くこともあるし、もしかしたらヨーロッパによくあるように、スタジオが学校と一緒に組んでちゃんと教育考えてるよ、プロになることを考えてるよっていうことをお互いに打ち出していくことなのか、とか。うちに今いる20代のアニメーターは、コロナ禍では理系の大学生でしたが、家でやることがないときにYouTubeを見てこま撮りを覚えたそうです。その中にはうちのカメラマンがやったオンラインの編集講座みたいなのが上がっているのも見て勉強して、 自主制作するようになって。 私たちがそれを見つけて、インスタですごく上手な子だなと見てたら、ある日紹介されて見学に来たんです。「ドワーフのYouTube見て勉強しました」って。 彼はたまたま来てくれたからよかったけど、こういうのをもっとちゃんとやっていかないといかんなって。どうやってこま撮りの仕事に就けるのか分からない人とちゃんとつながる 。

今「こまねこ」やってくださってる劇場さんが脇にカフェを持っていて、ここで映画を見た後、みんなで集まって座談会をこれから毎月やろうって話してるんです 。業界座談会。こま撮りって産業の大きさがちょうどいい小ささだから、支配人さんも面白がってくださって、月一で作品を見た後にこま撮り座談会やろうって。ドワーフプレゼンツじゃなくて、毎月違うものを見て、座談会して、二次会に流れても良いし、学生さんもここに来れば、こま撮りやってる人に会えるよ、という場を定期的に作るのがいいかな、というのをやろうと思っています。継続的なコミュニティづくりがしたくて。

海外に行くと機会を生かすため必ずスタジオを訪ねたり、こま撮り業界の人に会うんですけど、去年ロスに行ったときに、たまたま業界飲み会があって誘われたんです。ロスに居るストップモーション関係者みんなにメールが飛んで、いついつ飲むからって連絡が来る。その日は大きいバーの外、テラス席を貸し切ってるカジュアルな感じ。本当にたまたま私がロスにいる日で、「私も行く行く」と言って行くと、知ってる人がいたりするんですね。もちろんお互いの作品は知ってるし、「私、ドワーフの『〇〇』のプロジェクトのキャラクターデザインコンペ出したよ」、「おぉごめん、リモートで会わずに終わっちゃったよね 」みたいな子とか。あの作品のファンだよとか、誰だれの友達だよとかっていて。 私もそのとき は「ロスにいるよ」ってSNSに書いたら、二人から「来ない?」って誘われた。これいいなと思って。

定期的にあるから 忙しければ来られないっていうぐらいでいい。これ本当良いなと。日本でこれ出来ないかなと思ったら、今年の アヌシーでは、「Stop-mo(Stop-motionの略)ピクニック」というのが開催されて、またこれがいろんな人からメールとかチャットが来るんですよ。「Stop-mo ピクニックおいでよ」と。私もそれをいろんな人に飛ばして、行ったらアヌシー湖のほとりで立ち飲みしながら、みんなで自己紹介して、パペットとか持ってきて見せっこしてる。パイロット公開してる 「『HIDARI』のプロデューサーだよ」と言うと、「『HIDARI』はいつから現場に入るの?俺、アクション得意だからアニメーターやりたいんだ」みたいな。「インスタ交換して」って、「なんかあったらまたやりとりしようね」とか、すごくカジュアルで 、これ日本でどうやったらいいんだろうと思って。「ドワーフ・プレゼンツ」もあまり良くないかもなとも思って。 「ドワーフに呼んでもらった」にしないで、 もうちょっとニュートラルに、フラットにやりたいなと思ってたら、ストレンジャーさんという映画館が乗ってくれて。ストレンジャーという場所は変わらないけど、幹事は誰がやってもいいって形に出来そうなんです。もちろん最初は誰かがキュレーションはするんですけど、走り出したらだんだん自由でいいな、と。ストレンジャーのストップモーション 座談会の1回を、例えば学生が仕切ってもいいかもしれない。そこで作品がかかることが憧れになってくみたいになるといいなと思って、そんな場をつくりたい・・・ という第1回を12月17日にやるんですよね。(注2)

(注2. このイベントは、インタビュー後東京都墨田区菊川のミニシアターStrangerで開催され、現在は毎月第2金曜に定期的に行われている。)

――面白そうですね。

業界に少しかすっているぐらいの人が来てくれると いいなと思っていて、こま撮りどっぷりじゃなくて、ちょっと「フツーのアニメ業界だけじゃなくって」みたいな人とか。 逆にこま撮りアニメが好きな2Dの監督が来てくれても嬉しいし、 実写の人が来てくれてもいいしみたいな。そういう緩いコミュニティにしたくて。第1回はドワーフの「こまねこ」だけど、第2回は違うかもとか、というふうにしてテーマをどんどん変えていきましょうって思ってます。

――いいですね。それもアニメーション文化の底上げになりますよね。そこに行けば誰かに会えるとなると、気軽にふらっと来ても、そこで発見があったりとか。その空間を作るのはすごい良いと思います。

やがてオンラインもあるかもねって思ってます。例えば遠方の学生さんがオンラインでも座談会参加できるようになったらいいのかも。でもそういう人たちに、私たち今SNSこそあれ、口コミで全部やってて、どうやったら全ての人にちゃんと 情報が行き渡るんだろうというのは、課題だなとも思ってます。その劇場のキャパが50人なので、そんなに最初から大勢じゃなくてもいいやとは思うけど、ここ数年いろんなストップモーションの人と知り合いになるように頑張ろうと思って、すごいいろんな映画祭とか行っていろんな人とお会いしたりとかしてます。もちろんまだ知らない方もたくさんいるし、プロデューサーを必要としてない、仕事の機会がなさそうな人たちとは接点ができないのでというのがある中で、全ての人に、それもBCCでバーンみたいなことじゃなくて、もう少し有機的にちゃんと情報が行って、なおかつ求めてる学生がちゃんと情報が拾えるようになるにはどうしたらいいんだろうと思ってて。

――何かプラットフォームがあるといいいですね。

そうですね。口コミとはいいますが…、みたいところもあるじゃないですか。 若者にはSNSが届きますよね。ただ、そこには情報の個人差があって、難しいですけど。そういう何か定期的にそして、物理的に「あそこに集っているよ」みたいなのをずっと続けることが大事だなと思ってて。

――遊びに行く感覚で「東京に来たからあそこに行こう」みたいな、そういう流れもあるといいですよね。

だから、第2金曜日に決めましょうと言ってるんですけど、「第2金曜日、東京にいるわ」と言って来てくれるぐらいがいいなと思ってて。

――そうですね。それが希望の光になる学生はいると思います。本当にそう思いました。

嬉しい。こま撮り業界はみんないい人なので。きっといい子が来るでしょうから。

――プロデュースをできる方を育てていきたいというご希望は?

本当にそう思います。本当に育てたい。育てたいというか仲間を増やしたい。私もまだ育ってるんですけど。まだ全然育つ気です(笑)。

――例えばロールモデルとして「私はこういうことをやってきたんですよ」みたいな話をするだけでも興味のある学生さんは励まされると思います。こういう手段でこうすればいいとか、特に女性の方はまだ少ないので。

「楽しいよ」っていうのは言い続けたい。本当にそれは学校とも違うんですけど、企業さんとキャラクターのプロデュースとかの仕事するときに、 入り口を社長さんから頼まれた仕事でも「私のサポートをしてくださる担当者を必ず決めてください」とお願いすると、大体女性が来るんですけど、この人たちはプロデューサーになっていく感じがします。ずっと私を雇い続ける必要はないから、私の知識、やってることを全部ダウンロードするから、そうしたらあなたがプロデューサーとしてこの会社でやってね、というようなことはするようにしているんです。自分のいる会社で採用して私のアシスタントで育ててというのももちろんありますけど、外にそういう意識がある人が作れると広がっていくかなと思って。

――こま撮りの世界は、本当に女性が生き生きとできると思うんですけど、他のところの業界ではどうでしょう?

結構女性プロデューサー多いんじゃないですか。広島アニメーションシーズンに行っても女性にお会いすることが多くなってきてますよね。 2Dの業界も女性がたくさんいる気がします。アートアニメ系の人たちとは接点があるけど、2Dアニメの女性プロデューサーって、あまり接点がないから話してみたいですね。1回話してみると面白いかもしれませんね。女性プロデューサー同士で会ってみるというのも。アニメーションだけど違うメディアの。

――最後に、これからのアニメ業界を目指す若者たちにメッセージをお願いします。

アニメ作るって、きっと楽しいんですよ。好きだから。でも、本当面白いものをちゃんと作り続けましょうってことしかないかも。きちっと世界に向けて 、もちろん待ってくれているファンに向けて、でもいいんですけど。だからプロデューサーは大事だと思うんです。ちゃんと面白いものを作り続けないと業界は滅びるから、ちゃんと面白いもの作りましょうね、と思います。

――ありがとうございました。